2021年3月1~6日。沖縄県庁前広場で、ハンガー・ストライキがおこなわれた。カウンターとして中心に立ったのは、ガマフヤー(沖縄のことばで”ガマを掘る人”)の具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さん。具志堅さんは、これまで40年近く、沖縄戦中に生き埋めになった人の骨をほりおこし埋葬を続けてきた。
沖縄では、戦後76年経過した現在も、沖縄戦で生き埋めになったままの人があちらこちらに眠っている。
沖縄県南部にはそのような人たちが特に多く存在するが、2021年3月現在、その南部の土砂を重機でほりおこし、沖縄県名護市東海岸側に建造中のアメリカ軍基地「辺野古(へのこ)新基地」の埋め立てに使う計画がすすんでいる。
今回のハンストは、その計画中止を求めてのもの。
これはハンスト現場なのだろうか?
「ハンスト決行中2日目」「ハンスト決行中3日目」と、看板の日付は更新されたが、期間中ハンストが強調して語られる機会はほとんどなかったように思う。
これはハンスト現場なのだろうか? と、疑問が浮かぶ。「ほんとは食べているんじゃ?」の疑いではなく、あまりにも平然とハンストが続けられていることへのふしぎ。(実際は”平然と”ではなかったと想像されるが、その状態が見せつけられる場面はなかった)
ここでは、本来注目されていいはず(大さわぎする人だっている)のハンストが、歯をみがくことぐらいに標準化されているようにみえた。
ただ、「ここはハンスト現場なのだ」と感じられたことが、ひとつ。現地でなにかを食べる人がいなかったのだ。ペットボトルのおそらく甘いであろう紅茶を飲む人は見かけたが(ハンストでは糖分摂取を避ける)、誰もここで「食べる」行為を、「食欲」を満たす行為をしなかった。
ハンストの現場で食べ物を口にしないことは、ハンストへの同調と願いの表現になっていたように思う。
具志堅さんは自分を主語にしない
ハンスト期間中、具志堅さんは沖縄県庁とハンスト現場にいる人に向かって何度も話をされた。そのとき、自分を主人公にして話されることはなかった。
トラメガ
具志堅さん。「最初は自分ひとりで、糸満のガマの前でハンガー・ストライキをしようと思っていました(2日目の話より)」。それも重い意味を持つが、トラメガで拡声した声をぶつける場所は、やはり県庁前広場以外になかった。
ハンスト現場では、マイクで話す声をトラメガで拡声させ周辺に飛ばす。今回、沖縄県庁の建物が、その声をいいぐあいに反響させてくれた。黒川紀章(きしょう)氏設計の沖縄県庁舎が、とてもいい仕事をしてくれたと思う。
※トラメガ=トランジスタメガホン。手で持てる大きさの拡声器。ハンスト現場では、地面に置いたりパイプ椅子に置いたりして使用。
「日本語でいいます」
具志堅さんは、沖縄県庁に向かって「デニーさん! わんねーガマフヤーぬぐしけんやいびーん(わたしは、ガマフヤーのぐしけんです)……」と沖縄のことばで話されたあと、かならず「日本語でいいます」と、同じ内容を繰り返した。現場にいた日本語話者のため、そしてここは沖縄であるとの意味もこめられていたようだ。
その「日本語でいいます」がきこえてくると、毎回、まわりの沖縄の方々が「うふふふふ」と小さく笑うのがわかった。「具志堅さんってやさしいね」なのか「しかたがないわね」なのかはわからないが、あたたかみのある「うふふふふ」だった。
指笛(ゆびぶえ)
具志堅さんのスピーチがおわるたび、絶妙なタイミングで誰かが鳴らす指笛がきこえた。「いいぞ!」の意味がこめられた指笛の音。沖縄県庁前にあがる小さなのろしのようだった。
戦争の土の中から帰還した骨
ハンストが後半に入るころ。沖縄戦中に日本軍が陣地壕として使っていた場所(沖縄県糸満市)から、8人の骨が見つかったというニュースが入る。沖縄に20年通いながら遺骨を発掘し続けている浜田哲二さん、律子さんが見つけたのだ。
76年ぶりに地上に還ってきた、地面に並ぶ8人の骨。うちふたりは、ほんの少しのスペースで足りるほどに小さい。
その姿は、戦争の土に埋められた人が見せてくれた「ダイ・イン(die-in)」のようだった。通常ダイ・インは、生きた人間が「自分たちは殺されたくない」と道の上に身を投げ出す抗議行動をいう。
76年前に生命(せいめい)をおえた人たちが、「(もう死んでるけど……)ここに、いるよ!」「まだ、いるよ!」と言い放っているようだった。泣けばいいのか(還ってきたことを)よろこべばいいのかわからない光景。
※陣地壕:地上戦に必要な装備などを備えるための壕。
写真を撮ってくれる?
ハンストが終了に向かうころ。ハンスト支援者と具志堅さんが自分のスマホを持ち出した。そして、「写真を撮ってくれる?」と、身近な人に声をかけた。
ハンスト期間中、具志堅さんのスマホは遺骨収集の説明のために取り出されはしたが、自分を写すために使われることはなかったはずだ。その余裕すらないほどに、カメラと人に追われていたのだから。
撮影中、具志堅さんと周囲の人たちの顔がほころぶ。空気がゆるんだいい瞬間だった。
ぐしけんやいびーん!
3月5日のスピーチで、「わたしたちは、これであきらめる気は毛頭(もうとう)ありません。さらに確実な追求を続けていきます。手をゆるめる気はまったくありません」と話された通り、ハンスト以降、具志堅さんは目にみえる活動を続けている。
わんねーガマフヤーぬぐしけんやいびーん! と。
筆者の余談:重要な場面と連日の緊張。ただ現場にいただけなのに、4日目には虫歯ではない歯が痛くなり、ドリンク剤で疲労回復を画策した。風や人、沖縄県庁前70デシベルの騒音、カメラのレンズにさらされ続けた具志堅さんの貫禄を思った。