2021年3月1日 ハンガー・ストライキが始まった
2021年3月1~6日。沖縄県那覇市泉崎1丁目、沖縄県庁前広場で、ハンガー・ストライキ(以下、ハンスト)がおこなわれた。カウンターとしておもてに立ったのは、ガマフヤー(沖縄のことばで”ガマを掘る人”)具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)。沖縄戦跡地の土に埋められたまま過ごしてきた人たちの骨(遺骨)をひろいあげ、その声を聞き続けてきた男だ。
※具志堅隆松:沖縄遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表。40年近く、遺骨の収集を続ける。著書に「ぼくが遺骨を掘る人『ガマフヤー』になったわけ。サトウキビの島は、戦場だった」(合同出版)がある。
※カウンター(counter):反抗。その行動を起こす人をカウンターと呼ぶことも。
※ハンガー・ストライキ(Hunger strike):食事をとらずに飢餓(Hunger =ハンガー)状態でおこなうストライキ。
※ガマ(=壕、ごう):自然にできた洞窟。沖縄戦当初、ガマは住民の避難場所として機能したが、まもなく生死や苦痛を分ける場所となった。
何に対してのハンスト?
戦後76年経過したオキナワ。現在も、沖縄戦で生き埋めになりまたは葬られ、土に埋もれたまま骨になった人があちらこちらに眠っている。沖縄県南部はそのような人たちが特に多く存在する場所だ。
その南部の土砂を重機でほりおこし、沖縄県名護市東海岸側に建造中のアメリカ軍基地「辺野古(へのこ)新基地」の埋め立てに使われる計画がすすんでいる。沖縄防衛局は、戦争でなくなった人の骨がある場所だと把握しながらも、計画を受理した。
今回のハンストでは、その計画中止を求めている。
なにが問題?
糸満市や沖縄本島南部には、土砂採取ためにほりおこされた鉱山が多数点在する。その中のひとつである熊野鉱山は、慰霊塔「魂魄の塔」の至近距離に位置する。業者は、遺骨を収集したあとに砕石をすすめるとしているが、年月を経た遺骨は沖縄の土に混じるサンゴのかけらと見分けることがむずかしく、収集には専門的な知識が必須になる。
沖縄戦で生命を失った人たちが眠る土地の土砂で、アメリカ軍が使うための基地をつくろうとしている。かつての沖縄戦の相手国はアメリカであり、土砂の中に埋もれているのはアメリカ軍と日本軍のたたかいにより生命をうばわれた人たちである。
環境破壊、心理的な犠牲、一方的な取り決めによる見放し、戦争の記憶・事実の消去など、複合的な問題を持つ。
6日間のハンストをふりかえる。
2021年3月1日(月)・ハンスト初日
ハンスト現場がビルドされる
湿気と気温が高くなり、季節が夏に近づいた日。光が明るい。現場では、ハンスト用テント、署名用のテーブル、椅子、立て看板などが簡素にビルドされていた。自主参加のカウンターたちは、恒星のように離れた場所に寡黙に座っている。
取材が始まる
具志堅さんと、一緒にハンストに入った僧侶の方たちが、沖縄県庁を背にして地べたや椅子に座る。「ハンスト決行中」の垂れ幕の隣で、ジャーナリスト3人の取材を同時に受ける具志堅さん。
TV局、ビデオグラファーなどのカメラがセッティングされ、具志堅さんに向けられていく。
1日2回の集会がある
ハンスト中のスケジュールは、12時過ぎと17時過ぎに集会(アピールの時間)と決まっていた。これは、沖縄県庁のランチタイムと退勤時間にあわせたもの。
具志堅さんが”県庁に向かって”話し始めたことに驚く。伝える相手は県民や市民ではなかったのか? もちろん広めたいが、今回の主張の相手は沖縄防衛局と玉城デニー知事なのだ。
【要求項目】
1.沖縄防衛局に対し、南部の土砂採取計画を断念すること
2.沖縄県知事に対し、砕石(さいせき)事業中止命令(自然公園法33条2項)を出すこと
3.南部の砕石を禁止する条例をつくってほしい(←あとで追加された項目)
曇り。強風の日。テントが風でふくらむ。きのうの怒涛のような取材がおさまり静かになった。
沖縄県庁に向かって語りかけた具志堅さんのことば
「デニーさん。『助けてぃくみそーりよー』。これは、糸満(=いとまん。糸満市)の山城壕に生き埋めになった家族の母親が、水くみに出かけていて助かった娘に叫んだことばです。デニーさん。『助けてぃくみそーりよー』。このままだと、”生まり島”が(削られて)なくなってしまいます」
アメリカ軍の砲弾により入り口をふさがれてしまった山城壕。壕の中から外にいる娘に母親が娘に叫び続けた「助けてぃくみそーりよー」は、やがて聞こえなくなった。
「デニーさん、聞いているかなあ?」近くに立つ3人の方が、沖縄県庁を見上げてつぶやいた。
※助けてぃくみそーりよー=沖縄のことばで「助けてください」の意味
※生まり島=生まれた島・場所(ふるさと)
2021年3月3日(水)・ハンスト3日目
晴れて明るいが、風が相当に強い日。人が増えている。東京からのカンパ10万円が届いたとのこと。糸満市議会議員の話で、糸満市米須(こめす)海岸に「スーサイド(Suicide:自殺)」というサーフポイントがあると話題にされていた。「”シーサイド”では、ないんですよ」と。
2021年3月4日(木)・ハンスト4日目
気温23℃、晴れ。鳥の声が県庁前広場にひびく。太陽が出ている。「きょう3月4日はサンシンの日なので、演奏します」と、祝宴の座開きの曲「かじやで(かじゃでぃ)風節」が披露される。扇の代わりに新聞を手に踊る人の姿が、ゆるやかな風のように好ましかった。
この日のお話し
サイパンで太平洋戦争を体験した横田チヨ子さん。兄と父をサイパンでなくしたが、ふたりの骨は手元にない。石ころを骨の代わりに骨壺におさめている。
沖縄戦直後、南部にいた翁長(おなが)安子さん。戦争がおわったとき、畑に人の骨がゴロゴロあった。死んだ人の骨のうえでは暮らせないから、最初に骨をひろった。手足は5~6人分あるのに、頭の骨は2こしかないことがあった。人間の頭や手が肥料となって植物が育っていた。
2021年3月5日(金)・ハンスト5日目
晴れ。陽ざしが強い。120人ほどの人が集まっている。
この日は、ハンスト期間中に沖縄県庁が稼働する最後の日(金曜日だから)。ことば使いはやさしいが、強い意志をしめす具志堅さんの語りかけがあった。
▼具志堅さん語りかけ・音声はこちらから▼
2021年3月5日沖縄県庁前ハンスト「具志堅隆松さんスピーチ」 by amahaji | Free Listening on SoundCloud
2021年3月6日(土)・ハンスト最終日
小雨のち曇りの日。午前中、玉城デニー沖縄県知事が、具志堅さんを訪ねてこられたとのこと。170~180人ほどの人が集まっている。日中、具志堅さんのお話やライブがおこなわれ、夕方ハンストは終了した。
2021年3月6日夕方、ハンストの撤収がおわったであろう頃(筆者は現場を離れていた)、那覇に静かな雨がふりはじめた。
おわらない雨宿り
めぐるまえに飛び散った血液と、
砕かれた足の骨。
ふっとばされた頭髪と、
切断された声。
土に焼きついた傷のうえで、
分解された生命(せいめい)。
そこに残された彼・彼女らの骨。
いったーあんまーまーかいがー(お母さんはどこへいったの?)
いったーあんまーまーかいがー(お母さんはどこへいったの?)
これを書いているきょうの那覇市上空。アメリカの戦闘機が空気をふるわせ旋回する。