公園に風が吹く
気温21C°、湿度59%、風速4 m/sの那覇市。
公園で『精神医療のゆらぎとひらめき』横田泉(日本評論社)を読む。
この本には、鬼海(弘雄)さんの写真が3点掲載されている。
鬼海さんといえば、写真集『INDIA』(みすず書房)。
見田宗介氏が書いた解説に登場する「サモサ(寒さ)しのぎだな」というセリフが忘れられない。(あまりに暑かったので、ジーンズをひざのところで切ってしまった同行者の話。なぜ「寒さしのぎ」だったのかは、肝心だが忘れてしまった。)
写真のうち1枚のロケ地は、「宿河原(しゅくがわら)」だ。
2011年につかのま居住していた場所。
屋上の物干し台が週3の頻度で倒れる4階建てのゲストハウス。
(風が強かったんだ)
洗濯機の前で、「ここに住んでいるのは、地方では部屋を借りられないからです」とミャンマーの人がなさけなく笑っていた。
沖縄にも、ネパールやベトナム、ミャンマーからの人が住んでいるが、事情は変化したのだろうか? それとも変わらないのだろうか?
那覇市旭町の小さな交差点で、バイクに乗ったまま「市役所、どこですか!」と聞いてきた彼女は、ここでスムーズな暮らしをおくれているだろうか?
取り出し忘れた洗濯物に、英語表記のメモがのっていたことがある。
「ごめんね。自分も洗濯したかったから出したよ」と、五本指の靴下(わたしのものだ)が両手のようにそっとおかれていたのを見て妙にほっとしたものだ。
ゲストハウスの小さな炊飯器で黒豆を炊いたとき、黒い煮汁がこびりついたままになってしまった。それを見た誰かが「黒くなったら困りますよ」とメモを書きおいていた。その書き様から日本語が話せる香港人の子かな? と想像してみたのだが、実際はどうだったのだろう?
そのうち3月に東電の原発建屋が爆発。
画面の向こうの地鳴りとうごめきから目を離せなかった自分。
翌日、顔見知りの台湾人が日本を脱出。
スーパーのレジで買い占めされたろうそくの箱。
近所の八百屋から生産地のなまえが消えた日の記憶も残っている。
本を開いていると”公園の猫”が55cmの距離に場所を決める。
わたしは猫には触れないが、生き物のあたたかみが風に加わる。
測定できるほどの体温があり、血が生成されていると伝わる。
いまも、いまでも、風が止まるのを待ってる。
屋上の風が止まるのを待ってる。
那覇の風が背中でさわぐよ。
政府は9日、東京電力福島第1原発から出る放射性物質トリチウムを含む処理水の処分方法に関し、海洋放出とする方針を固めた。13日にも関係閣僚会議を開き、正式決定する見通し。