具志堅さんハンスト【慰霊の日】@平和祈念公園 6/23

 

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6月23日慰霊の日がやってきた

 

 

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6月23日慰霊の日 具志堅さんハンスト最終日

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お供えの花とウチカビ(打ち紙=冥銭)、ヒラウコー(沖縄線香)、そしてビール?

慰霊の日がやってきた。ハンスト最終日にして、玉城デニー知事が平和式典後に具志堅さんを訪ねる予定の日でもある。

この日は朝から雨。日中は結構な雨量となった。ハンスト現場で雨よけができるのはテント内のみ。撮影班や応援の人たちは、びしょ濡れになりながら傘をさしながら現場にいた。

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朝からたくさんの方が

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署名の場に

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立ち寄ってくださった

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署名をされる様子からそれぞれの想いが伝わってくるよう

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(戦争に殺されずに)ここにワラビンチャー(子ども)がいてくれることがうれしい

 

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広島の方が作ってくださった紺色のリボンとしおりが手渡された

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紺色リボン

広島の方が作ってくださった紺色リボンとしおり。4月の集会のときに広島から届いたものだ。じつは今回、作者の方が現場まで来られていた。

筆者が糸満から乗車したバスの中で、「魂魄(こんぱく)の塔」と「熊野鉱山」までの行き方を問われ、「あの標識に沿って行ってください」と案内した方だったのだ。お話によると長年ヒロシマに関する平和運動をされている方とのこと。


同じバスには、「こんなときだけれど」とおっしゃりながら、神戸から来られて戦跡をまわっている方もいらっしゃったようだ。このような出会いがあると、「戦争のことを考えているのは自分だけ」ではないのだなとおもえて安心する。

 

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日本山妙法寺さんの祈り

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キリスト教の方による祈り

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見守る人、マスコミ関係者が増えていく……

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雨が降り出した

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徐々に雨足が強くなって

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大雨になった

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沖縄タイムスの特別号

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玉城デニー知事を待つ具志堅さん

この日、玉城デニー知事が平和式典後に、ハンスト現場の具志堅さんを訪ねる予定が組まれていた。南部土砂採掘問題についてデニー知事から具体的な言及があるのか? 緊張の瞬間だ。

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なかなか現れない玉城デニー知事にわじわじ(まだなの!?)。いったん解散したら?という案が出るも誰も立ち去らない(そりゃそうだ)

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玉城デニー知事登場!ざわめきの中で遺族の方とお話を

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具志堅さんと玉城デニー知事との対話

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カラビサー(裸足)の具志堅さん

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具志堅さんは、なにを思っているのかな?(偶然にもカメラ目線いただきました)

遺族の方と具志堅さんが「戦没者の遺骨を守ってほしい」と伝えるも、「ご遺骨を守ります」という発言はなく、「できることを一生懸命頑張りたい」の返事にとどまった。今回も明確な返答がなかったのだ。

 

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具志堅さんの黄色い島ゾーリ

具志堅さんの一人称は「遺骨」だろう!(遺骨=わたし)

玉城デニー知事が立ち去ったあと「わたしは、社会運動家にはやっぱり向いていません」と具志堅さんがひとこと。強い要求を出せなかったことをいっているのだろう。

そもそも、具志堅さんは社会運動家ではないのでは? とおもう。その活動が取りあげられるとき”闘い”ということばが用いられるし、ハンストを決行することで”過激”と表現されることもある。”怒り”があるかのように語られるけれど。


ハンスト現場にいると、そのどれもが存在しないので、「あれ? なんかパブリックイメージとは違うよね」とおもう。現場では、誰も闘っていないし怒りもない。どこを探ってもトゲはみつからない。

なにせ、沖縄県南部熊野鉱山の土砂採掘問題が勃発時、具志堅さんが発したことばが、「(抗議のために)ハンストいなきゃいけない!」じゃなくて、「ハンストしたいなあ……」ですからね。ぽわ~んとしてますよね?

もちろん、39年間も遺骨をさがし続けるには強い意志が必要で、”やさしい”だけでは続けられなかったとおもう。ただ、その意志すらも亡くなった人を救いたいというおもいで構成されているようにおもえてならないのだ。

最初はこんなにやさしくていいのか、これで反対運動ができるのか? と思ったけれど。今では、このやり方こそなんだなとわかる。なぜなら、ハンストをおこなうことも救済や鎮魂の表出なのだから。

 

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具志堅さんの一人称は「遺骨」だ!

具志堅さんは、「気持ち」だけで行動するおだやかでやさしいガマフヤー(ガマを掘る人)だとおもう。心の持ちようが「乙女」のように繊細なのだ。具志堅さんがおもうのはいつも死者のこと。戦争で生きることを断念させられた人たちが、見捨てられたままにされていることに耐えられないのだ。

無数の死者をほっておけなくて見捨てられなくて、ガマに出かける。コツコツと骨を掘り出して集め、その骨を宿していた人たちのことをおもいため息をつく。なんなら目には涙を浮かべて。


TVのインタビューで具志堅さんが話されていた。「(数cmの大きさの骨を手にして)ただの石かなんかの破片みたいですけど、これは人間です。できるだけみなさん、身内の骨だとおもって遺骨とむきあってください」

 

沖縄県庁前から平和祈念公園へとハンストの場を移したとき、「きょうは、死者と一緒に眠ります」とささやいた具志堅さん。


今回、具志堅さんに質問をしてみた。
筆者「多くの社会運動には敵が存在しますが、具志堅さんたちの運動は敵を作らないですよね? 沖縄の人は、誰かをワルモノにすることがないようにおもいます」

具志堅さん「そう、業者もね、被害者なんです。悪くないんです。誰かが悪いなんてことはないんですよ」と。 

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南インドみたいだったハンスト現場

スタッフの方から聞いた話。具志堅さんはハンスト中、ごはんを食べないだけではなく着替えをされることもないという。蒸し暑い沖縄の6月。体はベタベタする。誰でもウエットシートで体を拭きたくなるはずだ。そんなときでも具志堅さんは、沖縄戦当時の人たちに思いを寄せるために、自分の状況をあのときに近づけていこうとされているのだ。

3月からのハンストを見ていて、こんな社会運動もあるのだな、あっていいんだなとおもうようになった。具志堅さんのハンスト現場は、「果報(沖縄の発音では”かふう”)=幸運、しあわせ」ということばが似合う場所だった。

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現場の雰囲気が伝わるかな?

長い記事を読んでくださりありがとうございます。今後も撮ったり書いたりしていきます。(伊藤洋子)