「(この作品は)日本で働く”外国人技能実習生”たちを描いたドキュメンタリー」。そう勘違いしたままに出合えたことを幸運に思う。
途中でこれはドキュメンタリーの手法で撮られたフィクションなのだ? と気づいたけれど、気づきながらもドキュメンタリーをみせられているような錯覚が消えないまま、さいごまで観賞した。
ベトナムから外国人技能実習生として日本にやってきたフォン、ニュー、アンは、3ヶ月間働いた理不尽な職場から脱走をはかる。ベトナム人ブローカーをたよりに行き着いた職場(漁港)でベトナムにいる家族への仕送りのために不法滞在者として働きはじめるが……。
ここにいることの生存権が脅かされる世界に生きたことがある人は多くないだろう。そのような人たちには、きびしい条件下で”働かされる”外国人技能実習生の物語にみえる。傍観者としての観賞。
パスポートや在留カードがうばわれてしまった世界を体感できる人には、ぎりぎりのライン上でどちらにも進めない苦しさと厳しさ、生存権(命すら含まれる)が簡単にうばわれることの恐怖がじりじりと伝わる。ほぼ同じ地平からの観賞。
人工的な香りやふわふわした装飾が一切ない世界。雪がつもる世界の白さと寒さ。港の風と水の冷たさ。昼間でも100%の明るい太陽が注ぎ込むことのない港町。夜の居場所のオレンジ色の電灯とストーブの色。
冷たい吐息やため息。湿気をふくむ風にゆれるおくれ毛。画面からほとんどの音が消され、登場人物が歩くわずかな足音だけが聞こえる時間。くらやみの中での唯一のたよりとなるスマホのひかり。
寡黙で抑制された映像が、素顔の彼女たちの無数の想いを物語る。ストーリーの軸となるフォンの視線。さまようその心のうちが横なぐりの雪で表現される。張力(ちょうりょく)のぎりぎりまでためられた涙の量に鑑賞者のこころもゆらぎ、ひとつの問いが浮かぶ。
ただ懸命に生きることのどこが”不法”なのか?
(注:逃亡前の職場で、昼夜もわからない環境で1日15時間以上、休憩・昼食もゆっくりとれず、居留カードもパスポート、保険証も雇い主に奪われたままという事情-この場合はドラマ上の設定ですが-もあります)
「海辺の彼女たち」は、日本のどこかに今もいるであろう彼女たちの物語として完結していた。今日も彼女たちは、「ごめんなさい」といいながら保冷箱に魚と氷を詰めているはずだ。
メモ:那覇市桜坂劇場での一度目の観賞。冒頭の緊張感と切実さに涙が流れラストまで(なにせ、ドキュメンタリーだと思ってみているので)。映像の美しさと寡黙ながらも不足や過剰さを感じさせない構成。正直こんな作品もう2度とつくらないでほしいと思った。(注:ほめています)。たくさんの映画作品があふれる世界の上で、この作品に出合えたことに感謝。
藤元明緒監督作品「海辺の彼女たち」@桜坂劇場は、残すところ2021年9月21日(火)・22日(水)18:40の上映のみ。同監督「僕の帰る場所」は、9月24日(金)18:40の1回のみの上映です。
※映画を大きな画面で観賞できるって貴重なことです。ぜひ。
メモ:ベトナム語の翻訳として字幕が入るのだけれど、その言葉の選択がやや雑に感じられた(意図的なものなのかもしれないけれど)ことが気になった。字幕を読む瞬間に「なぜこの漢字を選んだのかな」とか「この改行必要なのかな?」など。
つぶやき:沖縄で上映されるときには、すでにほかのエリアでは上映が終わっていることがほとんど。映画館でみることができなくても配信でみてほしいなと思います。
ベトナム(フィリピン、インドネシア、ミャンマーからも)から「外労(ワイロウ)」(外籍労働者)さんとして働きに来ている子たちがたくさんいる台湾でも上映されるといいなと思う。