その2022年6月23日、沖縄県糸満市にある平和祈念公園に行った。
この日は、ガマフヤー(沖繩のことばで「骨を拾う人」の意味)として知られる遺骨収集ボランティアの具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さんがハンストをおこなっていた。(ハンストは22~23日にかけて。一緒に遺骨のDNA鑑定を希望する方の受け付けもおこなわれた)
同じテント内では、(2022年6月12日からはじまっていた)平和記念公園内の「平和の礎(いしじ)」に刻印された犠牲者全員24万人強の名前を読み上げる取り組みが行われていた。※写真撮影時はすでに読み上げは完了
約40年間ものあいだ沖繩で戦没者の遺骨収集をおこなってきた具志堅さんは、沖縄県南部にある熊野鉱山(業者が採掘予定)の土砂が辺野古新基地建設の埋め立てに使われることに反対している。昨年2021年から、今回のようなハンストや集会、各関係機関への申し入れなどを絶え間なく続けてきた。
反対する理由はただひとつ。掘り起こされ、埋め立てに使われようとしている土砂の中に、沖縄戦で亡くなった人たちの遺骨が混じっていることがあきらかだから。この熊野鉱山の問題が浮上してから、何度も何度も具志堅さんが主張している「事実」だ。
今年も大きな木のとなりにテントが設置された。この日の最高気温32.5℃。湿度も高く屋外にいると暑さがダイレクトに伝わってくる。強い光が降り注ぐ沖繩の夏だ。
今回、会場で目をひいたものがあった。
ベニヤ板で作ったシール投票システムだ。辺野古新基地の埋め立てに遺骨が残る土砂を使ってはいけないと思う人は「赤」のシールを、使ってもいいと思う人は「青」のシールを貼るというもの。
筆者も赤を1枚貼った。(×10枚は貼りたかった。なんなら10,000枚でもよかったのですが)
そして、ボードの前にさりげなく置かれた「遺骨が混じる土砂」は、具志堅さんが持ち込んだもの。
遺骨と聞くと、人の骨であったことがひと目でわかる足や腕、頭蓋骨、歯を思い浮かべることが多い。けれども、沖繩戦からすでに77年。土の中に眠る遺骨は別としても、地上に近い場所に眠る遺骨は、砕かれて小さくなり色も変色、ほぼ土砂との見分けがつかないのだ。
実際、「この中に遺骨が混じっているよ」といわれても、いったいどれなのか判別できる人はいないと思う。「これが遺骨だね」と拾いあげることができるのは、長年遺骨に触れ、たくさんの土の中から遺骨を探しだしてきた具志堅さんのような経験を積んだ人だけなのだ。※写真のラインで囲んだ4つが遺骨
このとき、小さな手は、誰かの遺骨に触れていたかもしれない。
「骨と石って見分けがつかないものね」
「ただの土砂にしか見えないよ」
「どれが骨?」
「これじゃね!?」
君たちと同じ年頃の子の遺骨が混じっているかもしれないよ。
今回の具志堅さんのハンスト。さりげなくおこなわれていたように見えたかもしれないが、重要な意味があった。沖縄県が業者との間に和解案を出し、その案を承認しようとしていたのだ。
※和解案については「チョイさんの沖繩日記」がくわしい。blog.goo.ne.jp
つまり、業者は土砂採掘をはじめてもよく、採掘の途中で遺骨が見つかった場合は、周辺半径5mの範囲の工事を2週間中止し、戦没者遺骨収集情報センターなど関係機関による調査と遺骨の収集を認めるという内容。
まず、業者が遺骨を見つけることの困難さ。また遺骨らしきものを見つけたとして、工事が中止になることがわかっているのに、正直に申告をするだろうかという疑い。(申告しなかった場合でも罰則はない)というのが具志堅さんやチョイさん(北上田さん)の見立てだ。
もうひとつ。じつは現場から土砂を外部に運び出せる通路がない。これは、問題発覚後からいわれていた事実だが、業者は農地を運び出しの通路として転用することで回避しようとしている。この届出期間が3年。この間に、土砂の搬出をすべておこない最終的にガジュマルを植えて緑地に戻すところまでするのは、あきらかに無理があるという疑問が残るのだ。
あいまいな内容のまま、土砂採掘が実質上認められてしまったのだ。※6月24日に、沖縄県玉城デニー知事は和解案を認めてしまった。