壊れたカメラで慶良間(けらま)チージ

沖縄県那覇市ゆいレールおもろまち」駅から徒歩数分の高台に、「慶良間(けらま)チージ」と呼ばれる場所がある。慶良間は、慶良間諸島。チージは、頂上の意味で、「慶良間が見える丘」の意味になる。

※この記事の写真は、壊れたカメラで2020年に撮影したものです。たまたま見た記憶媒体にデータが残っていたので掲載します。レンズの不具合から、強制的に軟焦点(ソフトフォーカス)になっています。

おもろまち駅」の西側にある横断歩道。ここを渡り、右手方向に3~4分歩くと慶良間チージに行き着く。

新都心と呼ばれるおもろまち駅周辺は、かつてアメリカ軍に強制接収されアメリカ軍人用住宅地として長らく使用されていたエリア。1987年に返還され、ショッピングモールやDFS(免税店)、宿泊施設、オフィスビル、家電量販店、美術館、集合住宅、公園などが建造され商業とビジネスの街になった。

慶良間チージ入り口の階段

教会やファミレスが並ぶ歩道を進むと、突然濃いグレーのコンクリート壁があらわれる。入り口は、フェンスでガードされた階段があるのみのそっけない造り。ここが”なんなのか”知らなければ興味すら持たないで通り過ぎる人がほとんどだろう。

安里配水池(あさとはいすいち)

数十段の階段を登りきると、白い建造物がどーんとあらわれる。ピンボケの写真と相まって、「なにこれ、要塞?」て感じだ。じつはこれ、安里配水池(あさとはいすいち)の給水塔。

配水池とは? 

浄水場から送り出された水を一時的に貯めておくところ。
標高の高い場所にあり、自然の落差を利用して、家庭に給水します。

うえ みず みちより

まわりをフェンスに囲まれた配水塔

丘陵地帯の高低差を利用して作られた配水地なのだ。ここから周辺のエリアに水道水が送られているというわけ。この建物だけ見ていると「ふーん」て感じだけれど……、じつはここ1985年の沖縄戦で激しい戦闘がおこなわれた場所なのだ。

配水塔近くに設置されたパネル(文字が……)

一帯の丘陵地は、日本軍の首里防衛の西の要衝(ようしょう)で、米軍の第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。特に慶良間チージでの攻防は、1945年(昭和20)5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。
那覇市内史跡・旧跡案内より

当時首里にあった第32軍司令部を守るための要衝(ようしょう)だったこのすりばち丘を、アメリカ軍は「シュガーローフ」と名付けたという。スイートなネーミングに、アメリカ軍の上から目線と余裕を感じる。

目の前にある高層マンション

戦闘が繰り広げられ多くの死者が出た場所。と聞いても、目の前には、高層マンションやDFS、洋服の青山ほか現代の建物が立ち並んでいるだけ。かつての戦場の気配を感じとるのは相当にむずかしい。完璧に気配が消えた戦跡なのだ。


周辺が商業エリアとして位置づけられているせいで、多くの人が死んだ場所であることは実感できないほうがいいということなのか。(まあ、そうでしょうね)

ただ、戦闘の場所として実感はできなくとも、(どんなに天気のいい日に訪れても)この場所に来て気持ちが晴れることはない。まあこれも筆者の勝手な思い入れなのかもしれない。

配水池の近くに設置された展望台

一応この場所は展望所にもなっていて、写真のような展望台がある。軽量飛行機のような屋根のデザインがなかなかいいけれど、これは日除けとしても雨除けとしてもほとんど機能しないよねと思う。


開発されビルが立ち並ぶ以前、慶良間チージからは慶良間諸島が見えたといわれている。現在のこの場所から慶良間諸島は見えるのかというと、マンションの間から3cm分ぐらいは見えた。

おそらくマンションが建つ前は、慶良間諸島全体が見渡せたんじゃないかなと。でないと、この名前はつかないでしょう。

フェンスの前に置かれた水

別の場所にも水

筆者は、年をまたいで複数回この場所を訪れている。最初の機会にフェンスの前にペットボトルの水が置かれていることに気づいた。なんらかの意図があって置かれた印象があった。

猫よけの可能性も考えたが、3回目だったか、ペットボトルがあきらかに新しくなっていた。そのことから、どなたかが定期で訪れて交換しているのではと考えた。配水池なので水はいっぱいあるのだけれど、「忘れていないよ」という声が込められた水なのだろう。

・慶良間チージ(沖縄県那覇市おもろまち1丁目6)
眺めのいい場所です。


筆者の余談
沖縄にやってくる多くの観光客。年間数十万人だったかな? そのうち、どれくらいの人が戦争のことを意識しているのかはわからない。無関心な人も多いのかもしれない。

けれども、「この場所(沖縄島)に戦争と無関係の場所はない」と考えれば、誰もが例外なく戦跡の上をとなりを歩いていることになるんじゃないかと思う。

おもまち一帯も戦地だったわけで、あなたたちが気軽に(かどうかはわからないし決めつけられないけれど)やってきたここも例外ではないのだよと。

※この記事の写真を撮ってまもなくカメラは修理不可との診断をもらいました。