あまはじクロニクル

amahaji chronicle

書籍「ゲンバクとよばれた少年」中村 由一

「ゲンバクとよばれた少年」中村 由一(講談社

1945年8月9日午前11時2分、この日の長崎市の天気は曇り。上空を飛んでいたB29は雲が切れた瞬間をねらい原子爆弾「ファットマン」を落とす。

そのとき地上(浦上町=うらかみちょう)にいたうちのひとりが中村由一(よしかず)さん。

2歳半だった中村さんは、原子爆弾の爆風吹き飛ばされた。そして、被爆直後からハイハイしかできなくなり、少しは話せたはずの言葉も全く話せなくなった。

1949年4月。中村さんは、小学校に入学する。(中村さんが被爆当時住んでいた浦上町は、原爆の被害で壊滅。そのため、大浦という地域に引っ越していた)

そのとき、中村さんの頭には髪がなかった。原爆の放射能の影響で抜けてしまったからだ。

入学してしばらく。

「先生、中村由一と呼ばんでよかよ」
(中略)
「みんな、中村を『ハゲ』と言ってる。だから、『ハゲ』でよかとばい」

「ゲンバクとよばれた少年」P.57より

なんと、生徒にこう言われた先生は笑いながら同意してしまう。小学1~2年生の終わりまで、中村さんの呼び名は「ハゲ」で通されてしまうのだ。

中村さんの頭部、真ん中から後ろには被爆で受けた傷があった。3年生になると、その傷の周辺にわっか状に髪が生えてきた。

先生がみんなの前で言いました。
「ハゲに髪の毛が生えてきたと。よーく見とってみろ」

「ゲンバクとよばれた少年」P.62より

このときから中村さんの呼び名は、「カッパ」になる。この呼び名は、小学3~4年生の終わりまで使われたという。

そして小学5年生。あらたな呼び名が誕生する。

ところが5年生になって、ぼくの髪の毛が生えそろい、「ハゲ」でも「カッパ」でもなくなったある日、先生はみんなの前でこう言ったのです。
「きょうから『カッパ』は、あたらしい名前になりそうですよ」

「ゲンバクとよばれた少年」P.74より

新しい呼び名は「ゲンバク」。浦上町出身でなおかつ被爆者であることを中村さんは隠していた。けれども、なんと先生が暴露してしまうのだ。中村さんは、クラスの中でただひとりの被爆者だった。

爆心地だった浦上町(中村さんの出身地)に比べ、大浦町は原爆の被害が少なかった。大浦町に住む同級生たちは、原子爆弾が落ちた浦上町が自分たちの住む”長崎”にあることを認めたくなかったというのだ。


小学校に通う間、ずっと嘲笑の対象だった中村さん。卒業式では、ようやく自分の本名を呼ばれるのだが……。それは喜べるようなことではなく、嘲笑の上にさらに嘲笑をつみ重ねる”最後の打撃”とでも言えるような強烈な投げつけだった。

本の中ほどに掲載された卒業証書の写真。破かれたあとやでこぼこがある。ぼろぼろだが堂々とした卒業証書は、中村さん自身の姿に重なる。

「チビ」「カッパ」「ゲンバク」という3つの呼び名。その3つだけでもう十分じゃないか? と思われたが、大人になる過程で中村さんはさらに差別を受ける。中村さんの生まれた浦上町が、被差別部落だったためだ。

「(出身地は)浦上です」と言っただけで、就職の面接が終了。母親が買い物をしたときにおつりを投げつけられたという逸話もある。

それでも就職先を見つけ地道に暮らす中で、浦上町出身の人物が「自分は被差別部落の出身です」と公表する姿に出会う。また、被爆後バラバラに暮らしていた住民が浦上町に戻れたことで、被爆者たちに生命力が蓄えられてもいく。

その過程で被爆のことを話す人が増え、中村さん自身も機会を得て自分の被爆と差別の体験を人前で話すようになる。

bookclub.kodansha.co.jp


【メモ】
この本は、著者の体験を聞き書きによりまとめた小中学生向けの本。文字の大きさや写真、図説など、本の作りがとても読みやすくできています。

気になったのは、太平洋戦争での日本軍の侵略や加害についての記述がなかったこと。”日本がなかなか戦争をやめなかったから原爆が落とされた”程度の表現でした。

放射線”ではなく”放射能”という単語が使われていたのはよかったと思います。

容姿や出身地、その人がかかえるものに対する差別については、このころから変化していないように思えます。今日もどこかで誰かが嘲笑の対象になっているかもしれません。