あまはじクロニクル

amahaji chronicle

書籍「赤瓦の家 朝鮮から来た従軍慰安婦」川田文子

ポンギさんの故郷は「忠清南道(チュンチョンナムド)礼山郡(イェサングン)新礼院(シルレオン)」※地図上の赤いポイントのあたり

この本の主人公裴奉奇(ペ・ポンギ)さんは、植民地下の朝鮮から1944年に日本に連れてこられ、沖縄で慰安婦として従軍した人。

1945年に日本が敗戦したあとも沖縄に残り、1991年に亡くなるまでの47年間を沖縄島で過ごした。※以下ポンギさんと表記


この本には、ポンギさんと、ポンギさんのまわりにいた朝鮮人慰安婦、当時の沖縄で慰安婦の近くにいた人たちが登場する。

著者川田さんの問いかけに答えるように語る登場人物たちの声は、小さくも大きくもない。記憶に浮かびあがる過ぎ去った日々を、なにを訴えるでもなく日常の声で話す。

こんなことがあった、あんなこともあったと語られる記憶の断片を、著者の川田さんは根気よく聞きとり(ポンギさんへの聞き取りには10年をかけたという)、過剰感のない記録文学としてまとめた。

ポンギさんは「仕事しないで金儲かるところがある。行かないか」「とにかく儲かる。あんた一人でこの金どうするか」と女紹介人に言われ、着替えのチョゴリ(上衣)とポソン(足袋)だけの簡単な旅支度で故郷を出る。

京城(ソウル)、釜山(プサン)、門司、下関を経て、1944年”10・10空襲”後の沖縄島に到着。

その後は、渡嘉敷島(とかしきじま)に設けられた慰安所(民間から接収した赤瓦の家)で、従軍慰安婦として過ごすことになる。

太平洋戦争末期、1945年3月21、22日にアメリカ軍のB29が渡嘉敷島に飛来。

23日になると激しい空襲がはじまった。

その日、面積十八平方キロメートルの小さな渡嘉敷島に艦載機延三百機が来襲、座間味(ざまみ)、阿嘉(あか)、慶留間(げるま)島も同様の攻撃を受けた。米軍は徹底した殲滅(せんめつ)作戦で、慶良間(けらま)の島々を木端微塵に吹き飛ばそうとでもでもするかのようであった。

p.89より

朝早くから空襲があった24日。

爆撃がやんだころに慰安所に荷物を取りに戻ったポンギさんは、黒煙をあげる山や火をふく人家、門の前で死んでいる仲間の朝鮮人慰安婦を目撃する。

続く艦砲射撃の中、27日になるとアメリカ軍が渡嘉敷島に上陸。

三三四高地の裏の谷間で住民の集団自決が起こったのは、翌日28日のことだ。

そのころ、ポンギさんは仲間の慰安婦たちと谷間にある小屋に避難していた。

島の人が避難用に造ったであろう小屋にはたくさんの玄米が備蓄されていたが、数日たっても小屋の持ち主があらわれることはなかった。

その後、ポンギさんたちは日本軍の炊事班として従軍する。

日本軍からの補給が絶たれ食料がつきる中、8月26日に従軍していた部隊が武装解除アメリカ軍に投降するまで、従軍生活は続いた。

「仕事しないで金儲かるところがある。行かないか」「とにかく儲かる。あんた一人でこの金どうするか」。

そう言われて沖縄にやってきたポンギさんが投降したとき持っていたのは、朝鮮からやってきた時と同じ小さな風呂敷包みひとつだった。

従軍慰安婦として”仕事”をしたポンギさんが、報酬としてお金を受け取ったことは一度もなかったのだ。

終戦後も沖縄に残ったポンギさんは、日本語を話すことも読むこともできない、沖縄の地理も知らない状態で沖縄島を転々とする放浪生活を送る。

住まいとなる部屋に落ち着いてからも、窓を閉めきり人目を避けるように暮らしたという。


そのポンギさんの存在が世に知られることになったのは、1975年に特別在留許可の申請を行なったとき。

日本になぜ在留しているのか理由を問われ、従軍慰安婦であったことを表明するしかなかったのだ。


この本の中でいちばん厳しいと思ったのは、著者の川田さんがポンギさんの故郷を訪れる場面だ。

川田さんは、ポンギさんが幼いときに生き別れた姉ポンソンさんを探す。そして、無事会うことができた。

そのとき、ポンソンさんの周囲の人たちが、残酷な誤解をしてしまうのだ。

日本で”成功”したポンギさんが農家で働くポンソンさんを日本に迎えるため、川田さんを代理人としてよこしたと。

川田さんは、ポンギさんが戦中・戦後と苦労を重ね、日本で生活保護を受けながら暮らしていることを伝える。

そのことを聞いたポンソンさんが「妹のことは、知らなければよかった」ともらす。妹のことを知っても、なにもできないし会うこともできない。ただ、心が苦しいだけだと。

沖縄に戻った川田さんは、ポンギさんにポンソンさんの様子を伝える。

「姉さんには会わんほうがよかったんですよ」、返ってきたのはポンソンさんと同じ苦い答えだった。

妹6歳、姉8歳のときに生き別れた姉妹それぞれの思いに、淡々と描かれた記録文学の最後、読者はしめつけられるのだ。

 

【メモ】

亡くなるまでの長い長い間、生まれ故郷朝鮮に一度も帰ることなく生きたポンギさん。

沖縄に、ポンギさんのような人がいたことを記憶しておきたいと思う。

「赤瓦の家 朝鮮から来た従軍慰安婦」は、過去に、筑摩書房から単行本、その後ちくま文庫として刊行されています。現在は「新版 赤瓦の家 朝鮮から来た従軍慰安婦」川田文子(高文研)が購入可能です。www.koubunken.co.jp