あまはじノート

amahaji note

書籍「潜匠 sensho 遺体引き上げダイバーの見た光景」矢田海里(柏書房)

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海難事故、入水自殺、人命救助、そして2011年3月11日東日本大震災――宮城県仙台の海底に潜り続け、いくつもの「魂」を引き上げてきたプロの潜水士・吉田浩文。凄腕のダイバーとして地元自治体からの信頼も厚く、長年にわたって遺体引き上げ・捜索、救助活動に携わってきた男が目にしたものとは? 生と死、出会いと別れ、破壊と再生――「現場」に立ち会った者のみが知る様々な人間模様と苦闘を描くドキュメント。

※この記事には、自殺や遺体、東日本大震災に関する描写があります。


この本の主人公  吉田さんは、宮城県在住の潜水士だ。祖父の代から潜水士を職業とする家に生まれ、10代のころから仕事を続けてきた。
※潜水士=潜水用具を身につけ、水中で建設工事などの作業をする仕事。国家資格を必要とする。

吉田さんが遺体の引き上げをするようになったのは1996年ごろ。バブル景気崩壊の影響で仙台港に入水(じゅすい)する人が増え対応に困った宮城県警から要請があったのだ。

 

遺体引き上げダイバーという”職業”があるわけではない。むしろ、職業にはできないんじゃないかと思う。遺体の引き上げには、やればやるほど人生がマイナスにめりこんでいくような厳しさがあるからだ。

損傷・腐敗した遺体の引き上げは物理的に困難で、作業には緊張感と精神的な疲労がつきまとう。夜の要請が多く生活は昼夜逆転。そのせいで昼間の土木潜水の仕事ができなくなり収入は不安定になる。

また、24時間いつでも車で出動できる態勢をつくるため飲酒ができない。
※捜索に参加するダイバーはほかにもいるが、24時間対応できるのは吉田さんだけ


もっとも大きな困難は報酬に関することだ。依頼は警察から受けるが、警察から民間人である吉田さんに報酬は支払われない。吉田さん自身が遺族に請求しなければいけないのだ。

自殺者の遺族の多くは、水死体の捜索には(警察が捜索をするから)お金がかからないという思い込みがあるらしい。その思い込みから請求金額におどろき、費用を払わずに逃げてしまう人が少なくないという。

借金に追い詰められた結果、海に飛び込む人も多い。その遺族に、遺体捜索の費用を支払える余裕がないこともある。スムーズな支払いが受けられるのは、死者が生命保険に入っていた場合だという。

潮の流れを見てタイミングを見はからい静かに海に潜る吉田さんに、「もっと、派手な捜索をしてほしい」という遺族すらいる。捜索が大がかりでないとしっかり探せないんじゃないかと思うらしい。

やればやるほど赤字が積みあがる遺体の引き上げ。その依頼を長年引き受けた結果、吉田さんは破産する。

人を助け続けてもむくわれないことのほうが多いように見えるが、それでも、自殺や事故で亡くなった人の捜索依頼をことわらなかった。

2011年3月11日。その吉田さん自身が、宮城県名取市閖上(ゆりあげ)で地震津波に遭遇してしまう。閖上は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた海辺の町だ。

当時学校に避難した吉田さんは、津波の水があふれる中で桜の木につかまっている人をみつける。そして、近くにあった消化ホースを体に巻きつけ濁流の中に飛び込む(このくだりにはおろどいた)。そのとき4人を救助するが、それが限界だったという。

助けることができなかった多くの人が目の前を流れていく様子を見て、「家からドライスーツを持ってきていればもっと助けられたのに」と自分の判断を悔やむ。

その後、閖上地区の貞山掘(ていざんぼり)で、行方不明者の捜索をすることになる。暗く深い泥沼に沈む冷蔵庫や家の屋根、雑多な残骸。その中から行方不明者を探す。

海水でふやけた遺体の多くは変質しそれが誰であるかと判断できる状態ではなかった。そして、何人の人を引き上げたのかもわからなかった。腕や足など、体の一部だけが見つかることも多く、それが何人の人のものであるのかわからないからだった。

「この人ダイバーで捜索とかしていてさ。警察に協力して遺体の引き上げとかしているんだよ。なあ?」
友人は、どこか面白がっているようだった。もの珍しさから場がひとしきり盛り上がってしまった。すると、隣ので卓で飲んでいた知らない客が横から割って入ってきた。
「そういう話はさ、気持ち悪いからやめましょうよ。楽しく飲んでいるんだからさ」


p.26、27より


最初は、遺体の引き上げがいやだったという吉田さん。その役目を引き受けたことは、重い宿命のようにも思える。海の底から地上まで遺体を運ぶその作業は、死者を光があたる場所まで連れもどすために、吉田さんこそがやらなくてはいけない仕事だったのかもしれない。


【メモ】
この本は、矢田海里(やだ かいり)さんという方が書いているのですが、とても力のある作品です。完成されたルポルタージュといえばいいのかよくここまで書けたなと圧倒される筆力でせまってきます。

主人公の吉田さんの特異性に加えて、この著者が書いたからこそ成立した本だと思います。

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1年ほど前に読みおえていた本。昨年(2022年)の秋ごろ吉田さんが経営する会社が破産した(吉田さんにとっては二度目の破産)というニュースをたまたまネットで見かけ、読みなおしました。本のタイトル「潜匠(せんしょう)」は、吉田さんが経営していた会社の名前です。

 

【余談】
この本を読みながら思い出していたのは、沖縄で戦没者の遺骨収集を続けてきた具志堅さんのことでした。具志堅さんは遺骨を探すため土にまみれ、吉田さんは遺体を探すため自分の肉体を海に沈めます。それは、探しあてた遺骨や遺体を家族のもとに帰すためです。

なぜ具志堅さんと吉田さんは、死者に向かっていくのか、助けようとするのか。おそらく、その道を行くことしか考えられないし、そこに遺骨と遺体がある限りやめることはない。彼らは、はじまりの地点ですでにその答えに到達していたのだろうと想像します。