あまはじノート

amahaji note

【書籍】『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』上原善広

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著者の上原さんは大阪出身で、被差別の立場にある人について数多くの本を書いている。この本は、四国遍路の道のりに点在する路地(=被差別部落)と辺土(へんど=部屋や家を捨て、遍路を生活の手段にしている人のこと。草遍路、乞食遍路、プロ遍路などの呼び方もある)を、上原さん自身が巡礼しながら取材したもの。

四国遍路=弘法大師空海)が修行してまわった四国の88ヶ所の霊場(寺)をめぐって巡礼すること。



かつての四国遍路には、辺土として暮らす人が多数いた。

戦前までの四国遍路といえば、まだ歩いて回る人が多かった。当時は業病とされたハンセン病をはじめとして眼病、足の障害などの治癒を願って回る者も多かったし、口べらしのために四国遍路に出される者も多かった。遍路で生計をたてている者が多くいたのだ。

『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』p.17より


医療や受け入れ機関がまだなかった時代の四国遍路は、世間から差別されたりうとまれたりする行き場のない人が存在できる場所だったのだ。

筆者はタイトルの”辺土”の文字を見て、向こう側というか黄泉の国というか、うかつには踏み込めない場所、インドのバラナシのような生と死、聖と俗が混ざり合った場所を想像した。

バラナシも病を得た人が死に場所として目指す聖地であり、社会から異端とされた者が受け入れられる場所だ。インドにはサドゥ(見た目からして異形)と呼ばれるヒンドゥー教の修行者が多く、そのほとんどは喜捨で暮らしている。もちろん、バラナシにもサドゥは多い。

遍路道を接待(近隣の人からの喜捨)を受けながら歩く辺土と、喜捨を受けながらインドを放浪するサドゥ。辺土の二文字がインドのバラナシを想像させたのは、自然なことだったのかもしれない。

※以降は辺土を”遍路”と表記します。

この本には、それまでいた場所を出立し、生きるために遍路を選んだ人たちが登場する。遍路として歩いてさえいえば素性を問われることはないし(失礼とされている)本名を名乗る義務もない(本の後半部分に「毎日巡礼ヒロユキ」と名乗る人が登場)。意外にもヒミツを守れる場所なのだ。

そのせいもあるのか、遍路の中には極道だったという人や犯罪者もいる。遍路を歩くうちにカリスマ遍路として人気が出てTV番組に出演。そこで身元がバレてしまい逮捕された幸月(こうげつ)さんという人もいた。※過去に犯罪を犯していて指名手配中だった。

筆者が興味を持ったのは、幸月さんが犯罪者だとわかったあとも幸月さんの接待をやめなかった人がいたことだ。

鵜川(うがわ)さんは、無料で遍路を泊める善根宿(ぜんこんやど)を長年続けている。この人にいたっては、幸月さんが逮捕されたあとも、裁判の証言に立ち、被害者(幸月さんが刺した傷が原因で後遺症が残った)に渡す見舞金を集め、減刑を求める署名活動すらしている。

そして、刑期を終えた幸月さんの生活の場を準備して迎え、2018年に亡くなるまで見放すことなくつきあいを続けたという。

鵜川さんは言う。

生活遍路に限らず、遍路に出る人はみな何かあるから遍路をする。何もない人は遍路になんか出ない。ましてや生活遍路は、やっぱりいろいろあったから遍路しながら野宿生活することになったわけでしょう。だから、幸月さんが犯罪者だと聞いたときは、まあちょっとは驚きましたけど、そういうこともあるだろうなと思っただけでした。
『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』p.84より

しかし、ぼくもべつに犯罪者と知って世話をしていたわけではないし、知ったからといって、幸月さんを非難しようと思わなかっただけなんよ。
『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』p.85より

なぜ、そこまでするんですか? と聞かれ、

ぼくは、自分はかろうじて罪にならない隙間を歩んできただけあって、ただ運が良かっただけかもしれないと思うことがあるんよ。人間はみんな、暗い部分を持っていると思うんよね。もしかしたら幸月さんは、一歩違ったぼくそのものではないか、だから力を貸さなければと思うのかもしれない。

『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』p.86より

と答えている。


鵜川さんとは別の場所で幸月さんを接待していた、恒石(つねいし)さんの発言にもひきつけられた。

 逮捕されたと知らされたときは、そりゃあ崖から突き落とされたような気分でしたけど、もともと『なんぞあるな、このお爺はん』と思ってたからね。でも、まさか人を刺して逃げてたなんて思わなかった。

 そこから世間の反応が、これまでの賞賛から正反対になって批判するように変わった。直接、接待していた人はあんまり変わらなかったんだけど、そうでない人たちが一斉に批判し始めたことがわかった。ぼくは、事件発覚後は何か、世間のことが見えたような気がしましたね。

『四国辺土 幻の草遍路と路地巡礼』p.104より

鵜川さんも恒石さんも、淡々と答えているのが印象に残った。


かつては、この本に登場する辺土のような存在は日本のあちらこちらにいたのだろうし、四国遍路のような場所も点在していたのだろう。そして、遍路のような人たちを排除せずに受け入れた人も多かったのだろうと思う。


【メモ】

読む人を選ぶというか手にする人自体を選ぶ本だと思う。


歩きやバス、車で通常の祈願としてのお遍路をおこなっている人も現地には存在する。けれども、この本にはそのような人はほぼ登場しない。上原さんが取材したのは、野宿しながら歩き続ける地べたに近い位置を選んだ遍路のほうだ。

この世界にはかたちの違う自由がまだまだ存在するし、その自由の場所は薄暗いかもしれないが、そこにいることで生き続けられる人もいるのだと思った。

 

【メモ】
最後部で、1923年の関東大震災後に起こった「福田村事件」(大地震後の混乱時に流れたデマがもとになり、朝鮮人と間違えられて15人の行商人が殺害されてしまった事件)の人たちが、じつは香川県被差別部落の人たちであったことにふれています。