これは、2014年のひまわり学生運動についての回想記事です。2024年5月におこなわれた青鳥行動の記事ではありません。
2014年3月23~24日
2014年3月23夕方から24日の未明にかけて、立法院から徒歩6分の行政院(=Executive Yuan of the Republic of China)で混乱が起きた。
学生たちが、鉄の門や塀を乗り越え行政院の敷地内に突入するも、警察・機動隊によって排除されたのだ。
学生たちは、鉄の門をたおし、段ボールや毛布をかけ乗り越えていった。
約100人が行政院の敷地に突入。一部は、建物の二階にも侵入した。
筆者には突入をこころみた学生たちの考えが理解できなかった。
理由がわからなかった。「今、このタイミングで? なぜ!?」
立法院占拠後、順調に前にすすんでいたところだったのに……。
そして、このできごとがトリガーとなって、立法院も排除されてしまうんじゃないかと思った。
上記映像の2:04のあたり。TVの画面をみる人たちの表情がとまる。行政院突入のニュースが流れたのだ。やがて、涙を流す人も。壇上で話す陳 為廷(チェン・ウェイティン)も泣いている(2:40、ただしこれが行政院へのできごとへの涙がどうかは不明)。
この涙の意味やこのときの学生たちの気持ち。筆者にはわからないものだが、想像してみた。
最初に、大きなショックと失望があった。立法院の占拠が継続できそうな状況での行政院への突入。なぜ突入したのか。立法院の占拠への影響を考えなかったのか。
つぎに、”温柔的力量(やさしい力)”をテーマのひとつにかかげた運動で、暴力が発生してしまったことへの落胆。仲間たちが強い力で排除されたこと、また具体的な国家権力をみせつられたこと。自分たちも排除される可能性が高まったことへの緊張感、そしてとまどい。排除されてしまった学生たちへの心を痛めての涙、だったのではないかと。
筆者はこの日、自宅でTVの画面をみていた。行政院は徒歩圏内ではあったが、現地には行かなかった。
10年後の今、上記の映像をみて思うこと。学生たちが対峙していたのは、いつでも運動を抑えこめる権限を持つ政府と、いつ能動的な力を行使するかわからない国家権力である警察だったのだと。
これまでの記事では、現場の警察は学生たちを敵対視していないと書いてきた。けれども、それは甘かった。部外者ゆえの、のんきな静観。ただの一度でも上からの指令がくだれば、あっけなく排除される。ひまわり学生運動は、そのような強い権力の下で起きた運動だったのだ。
⦅余談⦆
この映像の1:10。涙を流す学生のすがたがあります。この混乱の場で、撮影者がこの涙に気づいたことにおどろきます。
撮影者も混乱のなかにいたことがわかる3:00~のブレブレの画面。放水砲で排除される最後、までみてほしい。
今回、この記事のために上記ふたつの映像を観た。10年前の自分は、理解が甘かったと思う。
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