あまはじノート

amahaji note

パレスチナとラジオガーデン(Radio Garden)

筆者は、2023年10月7日のイスラエルによる攻撃を知るまでは、パレスチナ事情をほぼ100%に近く知らなかった。


10月7日以降、パレスチナについてSNSで発信している人は、筆者が目にする範囲内でふたりほど。

それについても、ただ「嘆き」のことばや「パレスチナへの攻撃をやめろ」と書かれている文字列を目にしただけで、興味を持つまでには至らなかった。

 

契機となったのは、現地から発信された高解像度のスマホ画像だった。

10月7日から3週間ほどたったころ、「殺されたパレスチナの子供」の高解像度画像が筆者の目にも届くようになったのだ。そこで、やっとただごとではないと気付いた。


自分ながら遅すぎるだろと思ったし、人間の視野の狭さは無意識に醸成されているものだとも思った。

 

以来、うろたえつつも、なにができるわけでもなくここまできてしまった。


(地味な地下活動はやっていても、それがプラスに働く、なにかのためになっているなどとはとても思えない。サイダーの泡のひとつぶぐらいか? すぐに消える)


支配欲や破壊の快感、権力欲、仕返し、陶酔、冷笑(嘲笑)? そこになにがあるのかはわからないが、止められる立場にいる奴ら(失礼!)権力者たちが充分満足するまで、この襲撃が止まることはないんだろう。

 

話は変わるが、Radio Gardenというサイトがある。

radio.garden

 

地球の上に無数に点在する緑色の円は、その都市や街にあるラジオ局をあらわしている。緑の円をクリックすれば、その場所のラジオ放送を聞くことができる。

地球上の緑の点がラジオ局  

※画像引用は https://radio.gardenより(以下同)

 

台湾のラジオを聴けたりするのよ

 

パレスチナの場所を把握したのもつい最近という筆者。あるときRadio Gardenで、パレスチナをさがしてみたくなった。

 

パレスチナは、とてもさがしやすかった。

 

なぜか?

 

はっきりくっきりとしたライン(=壁)で区切られていたから。

くっきりとした線(壁)で囲まれているのがわかる

2015年12月当時の状況


イスラエル軍による軍事封鎖

1993年にイスラエルPLOパレスチナ解放機構)の間で結ばれた「オスロ合意」に基づいて、翌年ガザ地区は、ヨルダン川西岸地区と共に「パレスチナ自治区」になりました。しかし、2007年以来、ガザはイスラエルに軍事封鎖されています。

※下線は筆者(以下同)。テキスト引用は、ガザ地区を知ろう|パレスチナ子どものキャンペーンから(以下同)。


ccp-ngo.jp


イスラエル軍に包囲されている

2005年までは、イスラエルの入植地があり、イスラエル軍が常駐していました。 同年、ガザ内部から入植者と軍が撤退しましたが、ガザは周囲からイスラエル軍に包囲され、 人や物の出入りが極端に制限されています。 その結果、燃料や食料、日用品、医療品などが慢性的に欠乏し、 経済や生産活動が停滞して、 人々は国連や支援団体からの援助物資で命をつないでいます。


人口の約45%は14歳以下の子ども

長さ50km、幅5~8kmの狭く細長いガザは、種子島ほどの面積に200万人の人が住む、 世界で最も人口密度が高い場所の一つです。 人口の約45%は14歳以下の子どもで、7割は難民となった人々です。

以前から攻撃は続いていた

また2008年以降、ほぼ2年おきにイスラエル軍からの激しい軍事攻撃が行われ、 多数の市民が犠牲になり、大規模な破壊がガザの状況をますます悪化させています。

 

壁があって自由に出入りできないとか、漁業までも制限されているとか。何も知らなかった。(興味を持たないってこういうことだよ)



ただ、そうは思っても筆者の場合、「まずは知ることから」とは、考えなかった。
というのも、そんな時間の猶予ある? と思ったから。(自分にとって遠いから)まだ時間があるかのように思えるだけで。

 

そんな中、たまたま見つけたこのYou Tubeは、理解を助けてくれた。

www.youtube.com

4年前に、ヨルダン川西岸地区に入ったYou Tuber ジョー(番組名:ジョーブログ)さんの映像。

正直、このあたりの理解から先には進んでいない。数か月が経過したのに。

 


後編。

www.youtube.com

 

(余談だが、ジョーブログは、「西成(=にしなり。大阪のドヤ街)」や「猪飼野(=いかいの。大阪にあったエリアの名前)」などもテーマにしていて、なかなか興味深い)