2023年夏
筆者がタイ チェンマイにいた2023年夏。
(チェンマイは、タイの北部にある旧都。かつては独立した王朝があった場所で、地元の人たち、近隣国からの移民、海外からの移住者、旅行者、観光客が交錯する街。このとき筆者はチェンマイに部屋を借りていた)
部屋の中に、誰かがいるような気がしたことがあった。もちろん、姿はなく気配だけなので、誰なのかはわからない。気のせいといえばそれまでのような、不確かな感じ。
少し時間が経過して、その気配が誰だったのか? なんとなくわかってきたので書いてみます。
こたえを確かめようがない部分は、筆者の勘によるものなので、フィクションとして位置付けてもらってもかまわないです。
誰かがいる気配
「部屋の中に、誰かがいるような気がした」のは、ちょうど、この ↑ 写真を撮ったころ。(2023年8月18日に撮影していたようです)
ごはんを食べていても、パソコン作業をしていても、「誰かが部屋にいるような気がするし、見られているような気がする」。何度もそう思うのだけれど、姿は見えないわけで、誰なのかはわからない。
それまでの経験から、生きている人ではないんだろうなと考えていた筆者。(亡くなった友人が、なんらかの知らせをくれることってありますよね?)タイには、ピーという精霊がいるらしいので、そのピーなのかなと思ったり。
「誰ですか?」と心の中で聞いてみても、もちろん、返事はない。(聞くのはやめなさい! 答えが返ってきたら、どうするわけ~?)
まあ、気配だけだったので、そのうち忘れてしまったわけですが。その「誰かいるような、見られているような」感覚は、3~4日ほど続いたように思う。
※チェンマイ滞在中、この3~4日以外に誰かが部屋にいると感じたことはなかったです。
2024年2月
そして、2024年2月。
日本語圏に戻った筆者は、具志堅隆松さんのハンストの現場で出会ったある方(以下、U村さんと表記。ご本名の印象をすこし変えています)が、2023年に亡くなられていたことを知ります。
たまたま見かけたジャーナリストの方(かた)の投稿に、見覚えのある写真が掲載され訃報のお知らせがあったのです。その写真。じつは、筆者が撮ったもので。(U村さんが、ご自身のSNSに使ってくださっていたらしく、それが転載されていた)
撮影したのは、2022年6月23日(だったと思う)。沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園。遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅さんのハンスト現場で、「遺骨は遺族のもの 戦争基地に投げ込むな」と書かれたフラッグの前に、具志堅さんとU村さんが立っている。
「わたしは、一生、この運動(具志堅さんの)をやっていきたいと思っています。その気持ちを表明するために、具志堅さんと一緒に写真を撮ってもらえませんか?」そう言われて、「いいですよ」とU村さんのスマホで撮影したのでした。
※当該写真はここには転載しないです。このときの具志堅さんのハンストの様子は下記で書いています。
その後も、U村さんとメールのやりとりはしていたし、水俣の資料を送ってもらったり、宮古島に行くときに人を紹介してもらったりもした。
また、ネット上に掲載される反戦・反核運動、東京での具志堅さんのハンスト現場の写真や動画の中に、U村さんの姿を見つける機会も多かった。
(人は、最後に知ったときの相手の印象をそのまま持つ続けることが多い。筆者も、U村さんはお元気であると思っていた)
訃報を書かれていたジャーナリストの方(かた)は知り合いではないし、結果として、脈絡のないところからU村さんが亡くなっていたことを知った筆者。U村さんが(または別のなんらかの采配が)、偶然に伝わる方法をえらんで知らせてくれたのかなと思う。
まあ、このようなことから。チェンマイの部屋にやってきていたのは、U村さんだったのかもしれないなと思うようになった。(そうであればという願望も込みで)
※このとき、亡くなられた日がいつだったのかは、なんとなく確かめないままにしておいた。
2024年4月
そう思いつつも、ふと亡くなられた日を知りたくなったのが2日ほど前。まあ、なんらかのタイミングってあるものです。
ジャーナリストの方(かた)の投稿を見直した筆者は、U村さんが、2023年8月中旬に肉体を離れていたとわかります。(日付はぼかしておきます)
2023年の8月中旬。
肉体を離れた人は、好きな場所、想いを飛ばしたところに、一瞬で行けるといいます。だとすれば、筆者のチェンマイの部屋にU村さんがやってきたとしても不思議はない。どちらかといえば、スケジュール的にも(?)タイミングがあっている。
なぜ、筆者がタイにいることがわかり、チェンマイの部屋を特定できたのか。不思議だけれど、肉体を離れた人はそのようなことも軽く超えていけるのかもしれない。
これが、2023年8月~2024年4月のあいだに起きたできごとです。
(さらりと書いてはいても、葬儀の写真を目にしたときは涙が止まらなかった。U村さんは、日本山妙法寺の信徒だった。妙法寺のお坊様たちの”慟哭”のような<=これは筆者想像>読経が、写真から聞こえてきた。葬儀って、生き残った人が泣くためにあるのかもしれない)
具志堅さんのハンスト現場でさよならするとき、「また、会いましょう」と言って両手を握ってくださったU村さん。その手が妙に温かくふんわりしていたことを記憶している。
さよならした場所は、平和祈念公園のトイレの前だった。(筆者はそのときたまたま、奥間監督の映画『骨を掘る男』の下敷きとなるパイロット版を鑑賞させてもらっていた)
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U村さん、わたしがあなたの代わりに社会運動に参加することはできないと思いますが、奥間監督の映画『骨を掘る男』 を観ることはできます。具志堅さんの映画ですよ。一緒に観にいきましょう。
死者の世界にも、上映スケジュールは、必要ですよね?
映画『骨を掘る男』の上映は、東京 ポレポレ東中野 2024年6月15日(土)。沖縄 桜坂劇場、宮古島 よしもと南の島パニパニシネマ では6月22日(土)からとなっております。その後、全国順次公開です!!
ここからチェックしてください。
『骨を掘る男』
【追記】2024年6月15日(土)大阪市 第七藝術劇場 、京都市 京都シネマ
U村さん、また、どこかで会いましょうね~。