2024年2月20日に発行されたばかりの書籍。
著者の吉田千亜(よしだ ちあ)さんが、2011年3月11日に起きた東日本大震災以降、福島に通いながら現地の人から聞き取った話をまとめています。
東日本大震災で電源を喪失した福島原発は、3月12日午後3時36分に最初の爆発を起こします。
原発の近くに住んでいた人たちは、詳細な状況を知らされないまま自宅を追われたのです。
目に見えない放射能に被爆するかもしれない。その状況下で、かぎられた選択肢の中、前にすすまなければいけない。
そのときに、なにを選んでどのように行動したのか? それぞれの人の行動や決断の中に、どのような迷いや苦しみがあったのか。
およその想像はできたとしても、ひとことずつを聞くことはなかった。
大きな声で叫ばれることもなかったそのひとことずつを、著者である吉田さんは、積み重ねるように時系列にそって記録しています。
地震と津波、被爆(の可能性)。
それぞれを体験した人は、そのときから”被害者”になります。その時点で、多くを喪失しているはずの被害者は、助けられるべき存在です。
けれども、福島の人たちは、放射能被爆の可能性があったばかりに、同時に差別の対象にもなったのです。
福島原発の近隣から避難した人たちは、原発の近くに住んでいたことを理由に、差別を受けます。
避難所に届けられた牛乳の話
ある避難所に、牛乳を持った人があらわれます。「いくらでも持ってきてやる」といわれますが、避難所の人は、「足りる分だけでいい」と答えます。
翌日も牛乳が届いたので「ほかの避難所にも配ってもらえませんか」とお願いすると……。
「お前らみんな飲め、うちの牛は放射能あびて牛乳が売れないんだ。ここにいるお前らで処分しろ」
と言われたといいます。
この”お前ら”は、”原発の立地である自治体に住むお前ら”です。
自分の住む場所が汚染されて住む場所すらなくした被害者なのに、同じ被害者から「おまえらは、原発の立地に住んでいい思いをしてきたくせに」と、恨みをぶつけられたのです。
同じ被害者から受ける、目に見えるかたちでの差別。
※原発の立地には、いわゆる「原発マネー」が入り、国からのさまざまな恩恵を受けられるといわれている。
ある韓国ドラマに「すべてを失った者は絶望の底につき落される。状況を変えられない場合、憎む対象を作って苦しめる。なぜなら、そうしないと自分が生きていけないから」というせりふがあったことを思い出します。
原発の爆発による被爆の可能性。それを心配しながら福島現地にとどまった人もいれば、ほかの地域に移った人もいます。
仕事や生活を考えて、家族のうち母と子だけが避難する人もいました。
落ち着ける場所を求めて、点々と移動した人もいます。
なんとか生き続けなければ。避難していてもしていなくても、被爆ヘの懸念、将来への不安は、消えません。
どちらを選んでも苦しい立場です。3.11から年月が経過しても(または、経過するからこそ)さらに苦しい事情が積み重なるのです。
吉田さんは、こういった、「おもてに出てこなかった被害が見えなくなることで、なにもなかったことにしたくなかった」と書いています。
この本を読むうちに読者は、ひとつの災害、ひとつの事故の影響が容赦なく続く現実を知ることになります。
私は、原発事故後、事故の被害を受けた人にたくさん出会いました。私にとって、大切な人たちです。
そのことに感謝し、嬉しく思う時、でもこの出会いは、この目の前の人の原発事故からの悲しみ、苦しみの上に成り立ってしまった出会いで、それに対して「感謝」や「嬉しい」という言葉はそぐわない……そう思いなおすのです。だからいつも、出会ってくださって、「ありがとう」と思うのと同時に「ごめんなさい」という言葉がついて回ります。
『原発事故、ひとりひとりの記憶 3.11から今に続くこと』あとがきより
聞こえにくい”声を聞くため”に、定期的に読み返したい本。
※吉田さんの著作はこちら↓