あまはじノート

amahaji note

『戦争・記憶 』亀山亮さんの写真

ここは具志堅隆松さんのハンストを契機にはじめた場所です。つまり、沖縄戦がテーマです。ただ、今は、沖縄戦のことを、文字にして積み重ねようとは思えない期間が続いています。

(筆者自身、下嶋哲郎さんの本を紹介して以来、沖縄戦の本を読めなくなっています)

一方的な戦闘攻撃、連続する地震や災害、救えなかった助けられなかった多くの人々のこと……。きびしすぎる現実が、デジタルな情報を通して突き刺さってきます。

 

ですが、79年前、沖縄戦が過酷さを増していたこの時期。下記の本は紹介しておきたいです。

『戦争・記憶 』亀山 亮(青土社)

 

決して忘れてはならない、「記憶」
「死んだ真似」をして生き延びた少女。
住民を殺す上官を手にかけた元兵士。
ガマに入って遺骨を掘り続ける男性。
今でも死体を踏んだ感覚がフラッシュバックする女性。

「戦争を理解したい」という一心で世界の戦場を撮り続けてきた亀山亮。写真・テキストを駆使し、自身が向き合い続けてきた「戦争と記憶」を明らかにしていく。

青土社 ||歴史/ドキュメント:戦争・記憶

 

沖縄の集団自決、戦争孤児、戦没者の遺骨……。テキスト部分に、亀山さんが、集団自決で生き残った方と交流し、ランチを食べる場面があるのですが、筆者は、その際のやりとりが心に残っています。

 

亀山亮さんは、いつだったか、那覇ジュンク堂書店にこの『戦争・記憶』が平積みされているのを見て知った写真家です。

沖縄の夏の重い光のような表紙(しわが刻み込まれた指が写っていた)を見て、「ああ、きれいだな」と思いました。

写真をみているうちに、「この人は、なぜ、震えるような(ピントがあっていないという意味ではない)写真を撮るのかな?」と疑問を持ちました。

のちに、亀山さんは過去、パレスチナでの撮影時に、イスラエル軍が発したゴム弾を受け片方の目を失明されていたと知りました。納得。

『戦争・記憶 』は、写真集のサイズとしては、比較的小さな部類です。けれども、大きい。時間が経過するごとに、大きくなっていく。まるで、小型の本の中に、巨大なプリントが仕込まれているかのように。見返すたびに意味が増す、写真集としても、沖縄戦の記録としてもだいじな本。

ドキュメンタリー写真(ドキュメンタリー映画もかな?)が、時(とき)のなかで、意味を変え、価値を変えて存在していくのものだと考えれば、亀山さん自身、自分の死後に残す記録として写真を撮られているようにも思えます。

 

亀山さんの写真をみていると、ベトナム戦争のころに現地入りし多くの写真を残した写真家たちを思い出します。

 

☆こちらで『戦争・記憶 』の作品(一部)を観ることができます。

OKINAWA - ryo kameyama

☆別のページにパレスチナの写真が掲載されています。「インティファーダ」ということばの意味。以前は、筆者にとって遠い写真でしたが、今はこれらの写真との距離も変わりました。

PALESTINE/INTIFADA - ryo kameyama

★福島の写真も。

311 TUNAMI/FUKUSHIMA - ryo kameyama

 

【2024/4/22追記】

下記サイトでも亀山さんの写真と文章が掲載されています。

suiheisen2017.com

『戦争・記憶 』に収録されている沖縄戦戦争孤児の内間さんの写真は、最初、通り過ぎるようにみるだけでした。けれども、時間を経てこの写真を目にする中で、内間さんがかかえてきたいきつく底のない気持ちや、抗がん剤治療中の深い穴のようなあてどなさが強く感じられるようになりました。