あまはじノート

ガマフヤーのハンスト・沖縄戦・台湾ひまわり学生運動

2021/8/15 本の中ではまだ戦争が続いている!

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ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善(角川文庫)

ひめゆり学徒隊の引率教師として沖縄戦を体験した仲宗根政善さんが記録した手記。 

戦場に記した乙女らの血の足跡をありのままに記すことは、亡き乙女らへの供養にもなろうかと、灯油もなかった終戦直後、ビンにはいったマラリア蚊の防止薬を灯して厳しい軍政にも気を配りながら書きためた。

ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善 -まえがきより引用- 


 戦後の混乱の中。誰もがその日に食べるもののことを心配していたであろう時期に、自分たちの体験を1秒でも早く記録しなければと考えた。文学部出身で書くことに慣れ親しんでいたであろう仲宗根政善さんだからこそ残せたと思われる手記。

 

ひめゆりの塔めぐる人々の手記をまとめさせた教師は
仲宗根政善先生である。
政善先生は私の叔父さんに当たる。
おじさんの家は玄関から本が並んでいたことを覚えている。
当時沖縄師範学校の教頭だった。
そして何時もメモ帳を持っていたと思う。
ひめゆり学徒看護隊12名を引率して、
「鉄の暴風」と謂われる沖縄戦の中で
被害者の看護に当たる生徒の命を守っていたのである。

ひめゆりの塔をめぐる人々の手記 」amazonレビューより 


結果、ほかの戦争本にはない世界が文字の海の中に残された。
 

 445ページの文庫本を開けばそこは戦時下、湿気と血のにおい、負傷者のうめき声が充満するガマ(自然壕)の内部だ。腕や足を負傷した兵士たちは、自力で水を飲むことも配られたおにぎりを食べることもできない人が多かった。その負傷者の腕と足の代わりとなって世話をしたのはひめゆり学徒たちだ。

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「看護婦さん。看護婦さん」


負傷者は自力でトイレに行けるわけもなく(そもそもトイレなどないし)。世話をしたのはひめゆり学徒であるまだ10代の少女たちだ。排泄物のリアルな臭い。当然、ガマの中は相当な臭気が充満する。

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「新しい看護婦さんですか」


腐敗した傷口の臭い、膿で埋もれる傷口に巣食うハエの幼虫。ハエの幼虫をつまみだし、血まみれの包帯を替えたのもひめゆり学徒たちだ。師範学校に通っていた彼女たちが目指していたのは、学校の先生になること。看護を学んでいたわけではないのに。

ガマの最奥部では酸素がなくてマッチの火がつかなかったという。まさに「息もできない」状態。そのガマの奥で横になれないまま眠る日々。

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「今の弾着喜屋武(だんちゃくきゃん)!」


ガマの外に出てみれば。照明弾(※夜のみ)と艦砲弾の嵐、爆撃をくらって倒れた損傷の激しい死体。遠くに聞こえる爆撃の音と煙。焦げた臭いと腐乱臭が入り混じる空気が清涼になることなどなく。

「当美ちゃん! 私の脚(あし)がないの!」
牧志さんが叫ぶ。
ふり返ると大腿部(だいたいぶ)からすっかりもぎとられて、血だるまになって横たわっていた。
ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善著より引用 (以下同)


砲弾にやられた仲間の亡骸を木の下に運んで埋葬し畑に残ったサトウキビをかじる。 


砲弾が飛ばない頃あいをみはからって井戸に行く。小さな水筒をいくつも抱えて水を詰めるのもひめゆり学徒の役目。井戸に行けない日は水分をとれないという枯渇の苦痛。近くの民家やあだんの茂みに隠れて玄米を炊く(飯あげ=ごはんを炊事場から運んでくること)。玄米は圧力をかけて炊いてこそおいしくなる。ならば学徒たちが食べていたのは固くてぼそぼその玄米だったろうか? 

やがて、その飯あげも砲弾の真っただ中でやることになる。
 

いよいよ米軍の上陸だ。平素の訓練を発揮し、御国(みくに)にご奉公すべきときが来た。ひめゆり学徒の本領を発揮し、皇国(こうこく)のために働いてもらいたい。

戦いに勝って、ふたたびこの学園につどうのはいつの日のことか。

本の前半、 14、15ページ目ではこのような記述がある。
それなのに355ページでは……、

「生きてさえいれば死ぬ機会は必ずある」

に変化する。えーっと、この一文の意味が不明なのですが?

だれのため? なんのため? 意味や意義もわからないまま「お国のために」と教えられて戦闘に巻きこまれる。そして、もう生きるとかいいから一瞬で死ねる方法(手榴弾-しゅりゅうだん-とか青酸カリとか、アメリカ軍の砲弾とか?)がいいとすら考えるようになる。

 

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「死ぬならひと思いに。」

この本を読んでいると、どこまでも続くガマの中をさまよっている気分になる。そのガマには終わりがなく光も届かない。底なしではてのない世界に放りこまれ、任務だけは日々山積み。そればかりか、自分の命がいつまで持つかわからないという不安定な日々に落とされる。

読みはじめて一ヶ月以上経つのに、まだ読み終えることができない。もしかしたらこの本には、”終わり”がないんじゃないか?  ひめゆり学徒たちにとって”沖縄戦”が終わらない悪い夢だったように、本の中で沖縄戦を体験する者たちにも同じ悪い夢が与えられるのかもしれない。


筆者の余談:仲宗根さんが書き残した当時の様子に加えて、生き残ったひめゆり学徒隊の手記がはさみこまれた構成。時代を感じさせる文体が読みずらくついていけないと感じる箇所も多く、また、ひめゆり学徒たちは実際にこのような言葉使いをしていたのだろうか? これは男性目線の記録ではないのか? と疑問を感じる記述もある。

それでも、本を開いたその瞬間に、血の臭いが漂い砲弾の煙が見える希少な戦争本。この本の中ではまだ戦争が続いている。

2021年9月7日追記:初版は1951年つまり沖縄戦の6年後に、「沖縄の悲劇-姫百合の塔をめぐる人々の手記」仲宗根政善著(華頂書房)として出版されたとのこと。

 仲宗根政善(なかそね せいぜん):1907年、沖縄県生まれ。1932年、東京大学文学部国文科卒業。国語学専攻。琉球大名誉教授。1995年没。

1907-1995 昭和-平成時代の教育者,言語学者
明治40年4月26日生まれ。沖縄第一高女,沖縄師範女子部でおしえ,太平洋戦争末期の昭和20年,ひめゆり学徒隊の引率教官をつとめる。戦後沖縄の教育行政のたてなおしに尽力。また琉球大の副学長をつとめ,53年沖縄言語センター代表。59年「沖縄今帰仁(なきじん)方言辞典」で学士院恩賜賞。平成7年2月14日死去。87歳。沖縄県出身。東京帝大卒。著作に「石に刻む」「沖縄の悲劇」など。

コトバンク「仲宗根政善」より

 

参考URL

https://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/lib_uploadfile/column/h2804_jpn.pdf

 

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