あまはじノート

amahaji note

沖縄の作家 目取真俊(めどるましゅん)さん@Eテレ

 沖縄生まれ、沖縄在住の小説家目取真俊(めどるましゅん)さんのインタビューが、NHKEテレで放映された。

こころの時代~宗教・人生~「死者は沈黙の彼方(かなた)に 作家・目取真俊」2021年8月29日(日)放送

 

 
母語としてうちなーぐちを使った世代なんですよね」と話される通り、目取真さんの小説の中で展開されるのは、うちなーぐち(沖縄のことば)が今よりもあたりまえだった時代の話。(それほど昔ではないのです)

戦前の残像、戦後の米軍統治・琉球政府時代、日本への復帰、赤土の臭いとダンプカー、埋め立てによりかたちを変えられていく島の姿、日本とアメリカという国の傘下で混乱させられてきた沖縄。

 

目取真さんの描く世界に、”明るいだけの沖縄”は登場しない。強力な太陽が作る陰影の下、みながうつむき加減で寡黙に暮らす。自分自身の汗の臭いをわかりながらもぬぐえない、その不快さに耐えながら日々を生きるしかない、そんな人々が住む世界だ。

小さな生きものや土、水、石、生い茂る植物が身近にあり、神や死者の世界との境界線があいまいな世界。ときとして、三次元ではありえない設定が登場するのだけれど、以前の沖縄にはこのようなことがあたりまえにあったのかもしれないと思わせられるような深い土着の世界。

番組の中で、放置された戦跡である国頭(くにがみ)支隊本部壕の前に飲み物とお菓子を供え線香を手向ける目取真さん。文盲だったという目取真さんのおばあさんや身近で聞いたという慰安婦の方たちの話。辺野古新基地の反対運動に訪れる年配者たちから聞く戦争の逸話、「希望」という小説にこめた”希望”の意味とは……。どれも簡単には受けとめられない話ばかりだった。


目取真さんは、選択肢のない境遇の中で必死に生きた人の声なき声、消えていく声を、「小説であれなんであれ書き残しておかないと」と話された。ここには書かないが、沖縄のことを”遠い他人の話”として問いかけたインタビュアーへの叱責もあった。


番組の最後でサングラスをはずされた目取真さん。
その眼は、”うちなんちゅ(沖縄の人)”の眼だった。

「死者は沈黙の彼方(かなた)に 作家・目取真俊

https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2021082919914?cid=jp-X83KJR6973



メモ:筆者は、日曜の朝この番組を見たあと強烈に眠くなり、その後月曜の朝まで(つまり24時間)眠り続けてしまいました。目を覚ましたら時空が切り貼りされたように日曜日が消えていたのです。

ほかには原因が考えられずこの番組を見たせいかなと。(目取真さんはもしかしたらサーダカーの方なのかもしれません。これまでにもサーダカーの方に会ったあと眠り続けたことがあるので)。それだけインタビューの内容が筆者にとって強烈で消化する時間が必要だったのかもしれません。

※サーダカー=セジ(霊力)が高い。霊的な能力が高いこと。

 

この記事はまだ頭がぼーっとしている状態で書いたのですが、時間がたつと生まれ変わったように元気になりました。これもやはりサーダカーの方に会ったときと同じでした。だからってそれがどうしたのという話ですが。