アーサー・ビナード氏の本を求めて図書館を訪ねた。
最寄りの図書館にあったのは、「ちいさなこえ(「原爆の図」をもとに編纂したという紙芝居)」。「紙芝居なんですね」と反応すると、司書の方が「”本”があるかどうかさがしてみますね」と用意してださったのが「原爆の図」。
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▶アーサー・ビナード氏は、広島在住の詩人。ヒロシマ関連の著作がある。
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▶「原爆の図」丸木位里(いり)と丸木俊(とし)が描いた、15枚の連作「原爆の図」に加えて、南京大虐殺、沖縄戦、三里塚、水俣、アウシュビッツなどの絵画作品を収載した画集。
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司書の方「(「原爆の図」を机の上に置きながら)刺激の強い本ですが……」
筆者「(知ってますとも)じゃあ、借ります」
司書の方「(えっ?)借りられるんですか?」って、あなたが差し出したのですよ。
(このようなやりとりができるのも沖縄ならではだとおもうし、筆者にとってはうれしいこと)
「原爆の図」では、ヒロシマやナガサキ、オキナワ、みなまたで死んだ人々を、ブルドーザーなみのパワーで表現している。まるで物量作戦。
見る者にできごとを知らせたいだけなのであれば、ここまでの物量を描いただろうか?「丸木位里と丸木俊は、なぜここまでたくさんの人の姿を描きこむのだろう?」と疑問を抱く。
氷山のような死者の総数。その数字の塊(かたまり)を分解して、1と1、そこに足すことの10という具合に人間の姿を描きこんでいく。めくれた皮膚、内臓、眼球、こびりついた血、からみついた頭髪、むき出しの腕や足、骨、はだしの足の裏。伝わってくるのは一人ひとりの肉体の重み。
命が消えた人間の肉体は塊となって重くなる。人間の肉体の”重み”、その重量の深さを描くには物量が必要だったのだな。
反面、生きた人、衣類を身につけた人たちは軽やかだ。生命(せいめい)が肉体に宿ることは目に光りが宿ること、人体が自立して存在することなのだとわかる。 ふたりが描く生きた人物には軽妙な生命力が宿っていてとても魅力的だ。
丸木位里と丸木俊はすでに逝去しているけれど、死を強制されてしまったすべての人を描くつもりだったのかもしれないとおもう。ヒロシマ・ナガサキ・オキナワ・みなまた、アウシュビッツもあるし……亡くなった人の数はどれほどになる?
描くことが鎮魂だとしたら、その鎮魂にはおそらくおわりがないと考えていたのではないかな。まるで、「すべての遺骨を救うことは不可能なんです」と悩ましい表情で語るガマフヤーの具志堅隆松さんのように。
鎮魂の集大成「沖縄戦の図」が佐喜眞美術館で開催中
【会期】2021年6月17日(木)〜2022年1月17日(月)
広島に原爆が投下され、人類が初めて体験した核兵器の凄絶さを三十年以上にわたり《原爆の図》全15部に描き続けた丸木位里(1901-1995)、丸木俊(1912-2000)。位里81歳、俊70歳の晩年になって取り組んだのが地上戦を体験した沖縄戦です。
-佐喜眞美術館 公式サイトより
【佐喜眞(さきま)美術館】
住所:沖縄県宜野湾(ぎのわん)市上原358
電話: 098-893-5737
開館時間 :9:30~17:00
休館日:火曜・旧盆・年末年始
入館料:大人800 (720)円 大学生・シルバー (70歳以上)700 (630)円
中高生600 (540)円 小人300 (200)円
※( )内は20名以上の団体料金
筆者の余談:丸木位里と丸木俊が戦争体験者の話を聞きながら当事者をモデルにして描いたという「沖縄戦の図」。
NHKテレビ「日曜美術館」で取り上げられるというので、慣れないテレビのリモコンを操作して待機。番組開始後、最初の絵を見てレポーターの人が泣き出した場面で急激に眠くなりそのまま倒れて朝まで眠ってしまった。
沖縄戦を知るなどといっても、実体験の重さと深さから遠い位置にいるからこそできることで。自分が当事者と同じ体験をすることになったら耐えられないだろうなとおもう。それをわかっていて無意識にシャットダウンしてしまったような気がする。
筆者にとって(ほかの方にとっても)「沖縄戦の図」を見ることは、厳しい体験になるかもしれません。筆者は、正直今すぐ対峙できそうな気がしません。
筆者は未訪問ですが、行かれる方は普天間飛行場の敷地に食い込むように抗うようにして建つという美術館の様子も気にかけてみてください。
www.nhk.jp