沖縄県那覇市の沖縄県立美術館で開催中の「石川真生展:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」に行った。石川真生(まお)さんによるギャラリートークがあったのだ。
アフロヘアにカラフルな洋服の真生さん。「きょうは、石川真生のトークショーにようこそ~!!」のえらいにぎやかな声で始まった。
担当のキューレター亀さん(真生さんのfacebookによく登場)が、「苦しいかとおもうので、真生さんだけマスクをはずしていただいても……」とうながしたが、真生さんはヒャフー、ヒー、ヒーと息を発しながらも(息がしにくいぜ状態)マスクのまま話し続けた。
このとき真生さんは、3月27日から石垣島、4月3日から宮古島で撮影をおこない、4月9日に沖縄島に帰還したばかり。
車を駐車しようとしたとき、突然映像がスローモーションになり「ぶ~つ~か~る~(注:駐車場の壁に)」と思ったらぶつかってしまった話。骨を2本移植した場所の皮膚がぷ~っとふくらんでしぼんだ現象にあわててしまった話。
じつは真生さんは、これまでに何度も病気や手術を超えてきている方で、いつも首をかたむけるようにして歩いておられる。その姿を拝見すると、「しんどいんだろうな」とおもう。
体験者ならリアルにおもい浮かべられるはずだが、からだを切るのはとてつもないダメージがあるものなのだ。ゴムのあそびがなくなるように、「余力ってなに?」という状態になる。(当社比です)
亀さんはこの作品展の話を持ちかける際に、「4~5年後ぐらいに~」と思っていたらしいが、「えぃっ! あんた、そんなんじゃわたし死んでしまうよ!」と真生さんが反応し、今回の開催になったようだ。想像だが、「悠長なこといってんじゃねーよ、亀!」ぐらいの勢いだったかも?
黒人が出入りするバーで働き始めたとき。「(黒人は)こわくなかったよ。撮りたかったから」のくだり。時代が変わり、フィリピンから働きにくる子たちが増えたとき、「この子たちが、こんなに一生懸命がんばっているんだから、わたしが守らなきゃいけない」と思ったという話。
フィリピンの人たちが登場する写真を見て、「売春」という単語を使った人がいたようだ。
「わたしは、一度も”売春”なんて書いてないよ! (彼女たちを)愛しているから、堂々と生きているから撮ったんだよ。他人が売春だなんて、いうな!」
「偏見で見るな、上下で見るな、ぜったい許さん!」
(続けて「ポンカス」という語彙もいただきました……。ほんとポンカス、いやファッキン! ですよね~)
今回の作品展の「私は、人間が好きだ」に少なからず抵抗を感じていた筆者。この逸話を聞いて、ゆるゆるふわふわな調子でこのコピーを選んだんじゃないんだなと。
「電話帳みたいだよこれ!」ドーン! 今回の作品展の図録として刊行された作品集は、いったい何キロあるのかという見た目をしていた。もはや「電話帳」という名詞そのものが遺物になりそうな時代に、写真が詰めこまれた電話帳が作られたのですね。
真生さんは奔放なイメージで語られることが多いが、「撮り続ける」ためにスジを通してきた人だとおもう。今回のマスクだって、「じゃあ、失礼して……」とはならないのだ。(相当苦しそうだったし、昨年開催の写真展でも同様だった)
どんなに難儀でも「やっぱり撮る」ために、これからもカメラを持つのだろう。「ただ、撮りたいから」という理由によって。
「 石川真生展:醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」
会期:2021年3月5日(金)~6月6日(日)
https://okimu.jp/exhibition/ishikawamao/
※トークは、5月8日(土)5月22日(土)6月6日(日)にも開催予定。時間は14:00~15:00。予約不要。当日参加可能。
筆者の余談:以前は、真生さんが苦手だった。真生さんが人工肛門の生活になったころだったろうか。なにかの記事で見て、そのむきだしさ加減に拒否反応を起こしたのだ。自分は、この人みたいにさらけ出していないよ、ってことなのだと今なら俯瞰できるのだけど、当時は逃げたくなった。
その後、真生さんのドキュメンタリーを見る機会があり。映像として傷だらけのからだを見せられて、「ああ、まいったな」と降参することになった。今回、セルフポートレイトとしてそれらの写真が並んでいたが、「ちょっと待て。むちゃくちゃかっこええな!!」と素直に称賛できた。自分でも意外だった。
最後に「好きだな」と感じた写真をメモしておきたい。その写真とは、片方の足のヒザから下がなく、手の指が溶けるようにくっついてしまっているハンセン病の方を写したものだ。筆者にとって最も美しい写真。
以前、宮古島のハンセン病療養所「国立療養所 宮古南静園 」で園長さんに対面したとき、その手から目を離せなくなったことがあった。失礼だよと思いながらも、目は手にひきつけられた。その理由に今回気づけたようにおもう。これについては、別の機会に書いてみたい。
補足として。真生さんの作品展には、年配の女性が来場されることが多いような気がする。ただただ寡黙に作品を見ている方たちをよく目にするのだ。いろいろな思いがあっても声を発することはできないが、真生さんが大声で代弁してくれている。そんな気持ちがあるのかなと想像する。
真生さんを見ていると、やっぱり「ちばりよー(がんばってね)」て声をかけたくなるよね。最後にひとこと。「亀さん、ナイス企画です」。