あまはじノート

amahaji note

書籍「ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち」橋口譲二

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「ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち」橋口譲二文藝春秋


先の戦争(と本には記述されているが太平洋戦争のこと)が終わったあとも日本に戻らずに生きた人たちを、写真家橋口譲二が訪ね歩いた記録。

 

登場するのは、インドネシア、台湾、韓国、中国、サイパン、ロシア、キューバに生きた10人。いずれも戦争前後の植民地化や混乱の中で現地に赴き、戦後も現地に生き続けることを選んだ人たちだ。

対話がおこなわれたのは1995~1996年。(写真家が対話した人の数は86人)。本が出版されたのが2006年。その間、約20年。それまでのこの写真家の仕事の流れから考えれば写真集としての出版もできた。けれども写真家は、”移民” ”戦中戦後を生きた人たち”としてパッケージし世に出すことをためらった。

僕らは「戦争」という単語に慣れ過ぎたことで、そこで生きた人たちの中にある、人間としての喜怒哀楽を感じたり、想像したり考えたりしようとしてこなかったのではないか。

 

僕らは、あの時代を生きて来た人たちの中にあった感情を想像したことがあるだろうか?戦争の時代を生きながらも、一人一人が密かに温めていた希望や夢を想像し心を砕いたことがあるだろうか?
-「ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち」より引用


2002~2004年に一度原稿を書き上げるも却下し、「過ぎ去った時間の中で生きた人たちを、今を生きる人たちに繋ぐ方法を探さないといけない。苦労話ではなく今を生きる僕らにも繋がる普遍的なことを探さないといけない」と、どのようなかたちで社会に提出するのかを模索し続けた結果、20年の歳月がかかってしまったのだと。

かたちが決まりこれで伝えられるかもしれないとおもえたあとも、その編纂にはとてつもない苦悩と手間がともなった。作品を世に出すまでに20年。SNSやインターネットが発達した時代を考えると、気がおかしくなってしまうような長さだとおもう。実際、「たぶん途中で何度か精神が壊れていたと思う」と写真家は記述している。

そのような過程を経て世に出たこの本。

写真家は、「今日の朝は、なにを食べましたか?」(橋口氏の作品集ではかならず登場する対象者に対する質問。なにげない質問だけれど、その人の生活を知るという点では多くの人が見過ごしがちな一点かもしれない)「趣味はなんですか?」「日本に帰ろうと思ったことはありませんか?」とていねいに質問を重ねていく。

 

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”撮影 一九九五年三月一九日
今日の朝食 パン二枚、半熟卵二個、近所の農家が届けてくれる牛乳二杯”(本文より引用)

戦争の混乱の中で、土地や家族、つながりを失ってしまった人。農園で働くために生まれ育った土地をあとにした人。現地で家族を得た人。写真家は、ときになにもいえなくなりながらそれぞれが生きてきた経緯や選択の意味、そのときどきの感情をたずねていく。


自らの選択で現地に残ることを選び取った人もいたし、必死で生きているうちに帰れなくなった人もいる。また、タイミングがあわずに帰国ができなかったという人、日本という国での自分を半ば捨てるような気持ちで戦後を生きてきた人もいる。

日本が植民地として支配した場所や国。日本が戦争に負けたあと、それまでにひかれていた国境線が書き換えられていく。社会が変化する中で、戦中の気持ちを封じるようにして生きなければいけなかった人もいる。日本が支配者から敗北した国へと変わったからだ。

国と国。人と人。戦争が書き換えた国境線の上を行ったり来たりしながら、ただ食べていくこと生き延びることに必死で一人一人が生きていた。登場する人たちは取材当時で70~80代。おそらくほとんどの方は鬼籍に入られているはずだ。

彼や彼女たちがしあわせだったのかどうかはわからない。けれども多くの人は、「よくがんばったと思うんですよ」と、自分の人生を振り返っているようにおもえた。


人の生きる価値が見えにくい時代。ただ静かに生ききることができれば、活字にも写真にもならず、誰からも称賛されない人生だったとしても、その価値はなにものにもかえることができないはずなのだ。

笠原さんみたいな人が生きてインドネシアに居たことを、記録に留めることが出来て良かった。
-「ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち」より

 

最後に、20年という時間はけして短くはないが、表現を探し創作するという意味においては、決して長くはないと僕は思っている。

-「ひとりの記憶 海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち」あとがきより

 

橋口譲二:路上で出合う人たち、時を経て姿を消す場所や建物の姿と記憶を写真に収め作品集を編んできた写真家。「十七歳の地図」(文藝春秋)、「BERLIN」(太田出版)、「Hof - ベルリンの記憶」(岩波書店)ほか著作多数。「転がる香港に苔は生えない」の著作で知られる作家星野博美が師事していた人でもある。

「今までに900人ぐらいのポートレートを撮ってきましたが、自分が撮った人はすべて作品に登場させています。人の存在は、比較できないからです。この世に生きる価値のない人はいません。人を選んでこなかったということを僕は誇りにしています」

写真家 橋口譲二氏の講演会 - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

より引用

 

沖縄の視点から:本書には、与那国島出身の平得栄三さんと、両親が沖縄からサイパンへと移民した金城善盛さんというふたりの沖縄に出自を持つ人も登場します。少しですが沖縄戦の記述もあるのでぜひ。

また、橋口氏の写真集には、「南からの風」(扶桑社)という2冊組の沖縄をテーマにしたものがあります。こちらもぜひ。
  

筆者の余談:一切の刺激と軽さを消した状態で読んでほしい本。一度目の通読を大切にしてほしい。(筆者の場合)最初に読んだときに伝わってきたあたたかな感触は、二度目の通読では消えてしまった。

感謝ともいえるようなあのほのかなあたたかみは、なんだったのだろう? この本に登場する人たちの体温だったのだろうか? それとも、それぞれの人たちへの慈しみの気持ちだったのだろうか? ほんとうにただ一度きりで消えてしまった。