あまはじノート

amahaji note

下嶋哲朗(てつろう)さんの本・その2『生き残る 沖縄・チビチリガマの戦争』~『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ』

『生き残る   沖縄・チビチリガマの戦争』下嶋哲朗(晶文社)は、1991年発行

www.kosho.or.jp
『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ』下嶋哲朗(岩波書店)は、2012年の発行である。
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どちらも、(沖縄戦時、および太平洋戦争時に起きた)集団自決をテーマにした本。すでに新刊では手に入らない。

※以下の文章は、後ほど加筆修正する場合があります。

不思議だった。なぜ、”死”なのか。なぜ、自決だったのか。なぜ、アメリカ軍が島にあがった次の日だったのか。なぜ、直後だったのか。

 

「うちらも死ぬときがきた」
といった。

集めた者たちにユキは、日本軍が中国で行なった、さまざまな残虐行為を、自分の目で見たことだとして、話して聞かせた。


『生き残る 沖縄・チビチリガマの戦争』p.168より

もう、死んだほうがまし、アメリカーにやられたら、強姦されるか、耳、鼻、みんな切られてしまうから、自分で自決した方がいいね、と。これ以外にこの時は何にも考えられなかったよ。


『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ』p.18より

 

アメリカ(軍)につかまったら(男は股を裂かれ、女は強姦され)殺される。捕虜になるのは恥ずかしいことだ。捕虜になるぐらいなら、自決しろ(自分で死ね)。それが名誉だ。捕虜になるのは、非国民だ。恥だと思え。自ら進んで自決しろ(自分で死ね)。

教育ですよ!

 

『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ』p.269より

長らく続いた皇民化教育の結果。「バンザイ!」と叫びながら自ら死を選ぶ。”生きるために”、死を選ぶ。自らを犠牲にすることが正しい、美しい、立派なことだと教えられた果ての、集団自決。自らつきすすんだ、”生きるため”の死。

ザーッと、血しぶきがふったよ。なまあたたかな春(筆者註:春は人物の名前)の血が、雨となって、うちらの顔一面にふりかかってきた。


『生き残る 沖縄・チビチリガマの戦争』p.168より

”だれが殺した”のかはあきらか(アメリカ軍ではなく日帝)。なのに、知らないふりをし、忘れさせようとしてきた。隠してきた。きれいなことばで、ごまかしてきた。しかたがなかったと、あきらめてさせてきた。なかったことにしてきた。

教えてやるわけがない。

真実が知れてしまったら、あやつれない。悲しい、苦しい、美しい、苦労の、みんなが必死だった、”物語”として残しておけ。ぼんやりと平和を願わせておけ。永遠に来ない平和を、夢見たままにさせておけ。

 

集団自決って何ですかな。チビチリガマで何が起きたんですかな。何も解らないまま忘れられては、犬死にですな。

『生き残る 沖縄・チビチリガマの戦争』p.10

戦争を知ろうとしなければ、”だれか”が、また殺しにくる。戦争を知らないままなら、また”教育”され、知らないままに、自らを犠牲にして、血をふくことになる。自ら進んで自決しろ(自分で死ね)を、また、くりかえす。いやもう、この場所は、すでにくりかえしの中にいて、多くの人の心と体から涙と血が流れているでしょう。

 

「いても立ってもいられない苦しみを、ぼく一人で耐えて生きよ、というのか。あまりにも残酷すぎないか。


『生き残る 沖縄・チビチリガマの戦争』p.188 天久昭源さんのことば

沖縄が日本に侵略されなければ、沖縄の人は死ななくてすんだのに。沖縄が差し出さなければ、沖縄の人は死ななくてすんだのに。

血のない場所にいた指導者が、「もう一回勝ちたい」と言わなければ、沖縄の人は死ななくてすんだのに。地下壕にいた指導者が「最後まであきらめるな」と言わなければ、多くの人は死ななくてすんだのに。

 

嘘を教えなければ、本当のことを教えてくれたなら、誰も死なずにすんだのに。


『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満州へ』p.49より