映像作品「桜と無窮花(さくらとむくげ)」

動画配信サイトで「桜と無窮花(むくげ)」(2016年公開。監督 河真鮮/ハ・ジンソン)という映像作品を観た。※むくげは韓国の国花

主人公は、11歳のときに来日した韓国生まれの青年。来日以降は、日本の学校に通っている。海外在住の韓国人にとって兵役は絶対的な義務ではないが、彼は20歳で本国の軍隊に志願する。作品の監督は、主人公の母親。

まず、日本に住みながら、つまり兵役を回避できる立場にありながら志願したことにおどろいた。

家族3人(監督である母親、姉、入隊を選んだ主人公)で日本に移住して暮らしていることを「子どもたちにつらい思いをさせて心が痛い」と吐露する母親。そして姉は「外国に暮らすのって緊張する」とつぶやく。

生まれた国ではない場所で、区別(ときには差別)されはじかれる立場にいる自分たちを意識せざるをえない暮らし。そこに加わった息子の兵役への志願は、家族にとってどのような意味を持つのか。

作品の中では、軍隊での訓練や寮での生活などが公開される。入隊時に自分だけの銃を渡され「自分だと思って大切にするように(大意)」と告げられる。入隊時は完全な丸刈りだが、年を経ると等級があがり少しだけ髪を伸ばせるようだ(ただしミリ単位)。

仲間たちとの交流はあくまで友好的に描かれる。兵役の途中に休暇もあり家族のもとに帰ったり、家族が部隊を訪ねたりもできる。監督である母親が、息子がいる部隊に段ボール箱いっぱいのうまい棒を差し入れする場面もあった。


全編を通してナチュラルに軍隊生活を撮影している中で違和感があったのは、主人公が一時休暇で日本に戻ったときの姿。軍服のまま母親の前にあらわれるのだ。これは、「(撮影のために)軍服のまま日本に帰ってきてね」という演出ではないのか? と一瞬疑った。

実際は、主人公が母親に自分の軍服姿を見せたかっただけなのかもしれないし、監督である母親が息子を誇り思いこの場面を撮影したかったのかもしれない。(この”誇り”には、愛着のようなものも含まれる)あるいは、自宅に帰るまでは軍服を脱がないという軍隊の規則の可能性もある。

導入部に監督である母親がハンディカム(ビデオカメラ)を手に撮影する姿があった。けれども、時間が経過するうちに母親が監督であることがほぼ感じられなくなってしまう。それはかまわないのだけれど、固定された目線が消えてしまうため、伝えたい事象がぼんやりしてしまったように思えた。

カメラワークが安定しなかったり、親子の韓国語の会話に字幕が入らなかったりと、映像作品としては散漫な印象が残る。ただ、韓国の軍隊生活の一面を映像に撮ったという点では意味があるのかもしれない。

筆者の余談
韓国での兵役を志願することの重みと意味(=戦争が始まれば召集される)、なんのために軍隊生活を撮影しようと決めたのか、撮影にいたるまでのおそらく煩雑であろう手続きの過程なども描かれていれば、もっと引き込まれていたような気がする。まあ、筆者の興味がそのあたりにあるということなのですが……。

 

【追記】この作品の軍隊生活のとらえかたはゆるすぎるように思った。”戦闘”を叩き込まれる場所に、いじめ、体罰ヒエラルキー(階層)由来の差別(たとえば、出身地による差別)、集団生活の鬱屈がまったくないとは思えないからだ。(必ずあるともいえないが)

もちろんこの作品は、韓国の軍隊の実情を知らせるものではなく、「自分の息子が生まれた国の兵役を選んだ」ことを描きたかったことはわかっている。それでも、思う。